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衝撃的な言葉は本質をついているか?

佐久穂町からも佐久長聖中学校へ進学している子がいるし、

佐久穂町から佐久市へ移住した子もいる。

 

さすがに、佐久長聖中学校に6年間も勤めて、

学級担任はもちろんのこと、

学年主任をやったり、部活の顧問をやったり、

小学生に対する体験授業をやったり、入試問題の解説もやったりしたから、

私が認識していないけど、私を見知っている方は

自分でも驚くほどいる。

 

ましてや、ジジ・ババの昔からの知り合い。

妻の夕夏に関わる人たち、

董弥・弥真人・拓真・・・3人の息子の友達関係。

なんかもいる。

 

偶然行き会っても、

普段なら挨拶だけで終わるところを、

いろいろな話を聞ける機会が最近多くなってきた。

 

その中で、衝撃的だったものがある。

私、佐久穂町嫌いだから・・・。

というものだった。

正直、この発言には、次の言葉がでない・・・。

まぁ、確かに自分の住んでいる地域を、住んでいる人全員が好きである

必然性も必要性もない。

が、そういわれたときに答える側としては、頭がむやみに回転することになる。

で、がんばって出てきた言葉が・・・

はぁ、そうなんですね。

まぁ相手を認めるという対応は、若干の職業病。

 

それは、まぁいい。

その後、次いで出てきた言葉が私にとっては衝撃的だった。

こんな町の議員になったって、町は変えられないんじゃない?それよりは、学校の先生として子どもたちの未来に関わっていた方が、何倍もよかったんじゃないの?まぁ、決めちゃったんならしょうがないけど・・・。

・・・。

うはぁ・・・。

なんだろうなぁ・・・槍で土手っ腹を貫かれた気分だったよ。

言っている内容に対して、反論があるとか賛成だとか・・・

そういう次元を超えている。

まさに衝撃的な言葉。

衝撃を受けるということは、私にとって何らかの本質が含まれているということだな。

それでも、その言葉に一生懸命・・・

そう、結構苦し紛れで、自分の思いをちょっと話した。

うまく話せなかったが、

子どもたちを通して、この町を活性化していきたい主旨を伝えはした。

 

ようするに、私は、

「佐久穂町さん」という子どもをイメージしたとして、

その子が、自立できるように関わっていく、

つまり教育していくことをしたいんだと思う。

 

こういう言い方をすると、

「何様のつもりだ」とか「生意気だ」とか言われるかも・・・。

でも、正直、教育者って、ほとんどみんな生意気な立場にならざるを得ないと思う。

しかも、多くの教育者が、「何様のつもりだ」ってことを自覚している。

でも、それでも、

その子がより満足する生き方を得られるように

親でも友達でもない、ましてや他人でもない立場で関わっていこう

って意を決していると思う。

明らかに自分より、優秀な児童・生徒であっても、

そういう立場、つまり「関わりのプロ」としての立場をとるし、とらざるを得ない。

私の関わった生徒の中にも、東京大学や京都大学に進学した子が当然いる。

で、じゃぁ学力的に、私がその子よりも頭脳明晰かといわれると

当然そんなことはない。

っていうか、足下にも及ばない。

 

それでも、「関わりのプロ」という自負のもと、先生という立場をとる。

そして、そういう生徒たちは、

私にそれなりの、学力以外の価値を見いだしてくれる。

にしべ先生に関われて、自分の人生においてはプラスでした、と

お世辞でも言ってくれる。

 

あくまでも私個人の考え。

 

この話って、

教育の話に見えて、実は政治の話でもあるなぁって思う。

つまり政治家は、町の、町で暮らす町民に対しての

「関わりのプロ」でなくてはならないと思う。

それこそ、「佐久穂町さん」の場合は、

これから、特にその立場が必要になってくるんじゃないかと思う。

佐久穂町の子どもたちがつくる、未来の「佐久穂町さん」にとっては言わずもがな。

 

私はそんな立場で活動をしていきたい。

それこそ「関わりのプロ」として、町民のみなさんの後援者になれればいいなぁ。

 

・・・ 町議会議員選挙の告示まであと5日・・・

 

 

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