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お母さんたちへ・・・。

今日、長野に行ってきた。

いままで勤めた信学会の離任式。

長年お世話になったからということもあるけど、

信学会というのはこのあたり、しっかりしている。

この歳になって、卒業式風の式典に卒業生風の立場で出席するとは思わなかった。

形式がしっかりとした式だった。

 

長く勤めた信学会で、私はいろいろなことを学んできた。

あまりにもいっぱいありすぎて・・・書くには膨大すぎる。

だから、小出しに・・・ははは、膨大にあるのに小出しかよ!

という突っ込みを受けつつ、

暇を見つけて地道に、昔話と共に書いていきたい。

 

私がある先生から学んだこと、

おそらく、その先生と話をすることがなければ一生実感できなかったことを

今日は書いていこう。

 

それは、

お母さんの立場

というものである。

 

私の住む佐久穂町のような

人口が少なく昔ながらの風習を持っている地域も、

私の生まれたところである名古屋市のような

経済活動が激しい、物価の高い地域も、

環境は違えども、同じことが起きているようだ。

それは、お母さんへのあまりにも厳しい評価だ。

 

お母さんは子どもができると、子育てを開始する。

私は教育に関して多少なりとも玄人であるという自負がある。

が、当然ながら世の中のお母さんは、

教育のプロであるからお母さんなのではなくて、

子どもがいるからお母さんなだけななのに

子育て中のお母さんを見る周りの目は、

教育のプロ並みの子育てや教育を期待し、

期待するだけならまだしも、それが普通のことであると思っているようだ。

 

立派な仕事をして、経済的に一家を支えているお父さんの中には、

「俺はいつも仕事をしてるんだ!教育は母親の仕事だろ!しっかりやれよ!

 息子がしっかり育たなかったらお前のせいだぞぉ!」

といって、プロでもないお母さんに、教育のプロであることを強いる人がたまにいる。

いままで、歴史ある家を支えて切り盛りし、家を繋いできた自負のある

おじいさん・おばあさんの中には

「一家の跡継ぎだぞ!しっかり我が家の教育をしなければだめだろ!

 嫁に来たんだから、我が家のルールに従うのは当然だ!」

といって、お母さんの子育てに対して頭ごなしに否定する人がいる。

 

そんな経験が全くないお母さんもいるかもしれないが、

多くのお母さんが大なり小なり感じたことのある不安と不満と責任感。

子どもをしっかりと育てなければ!

私のせいで子どもの人生にキズがつく。

私のせいで、一家の歴史にキズがつく。

こういった思いにさいなまれながら、

子育てを孤軍奮闘しているお母さんは案外多いのではないだろうか。

そうやって自分を追い詰めている人も、いるのではないだろうか。

 

私がその先生から学んだのは、

そういったお母さんたちの「つらい立場」である。

 

一家は大事だし、伝統も大事、お金も大事。

だけど、やっぱり子どもにとってお母さん(もちろんお父さんも)はなによりも大事。

一家よりも伝統よりも、お金よりも大事なものだと、

むしろ唯一無二のものだと思っているよ。

 

だからね、お母さんたち。

自分の子どもの方を向いて、話し合いましょ。

自分の子どもの方を向いて、考えていきましょ。

あなたが間違っているかどうかは、実はあまり問題ではないんだよ。

あなたが、自分の都合、周りの都合で判断・行動していなければね。

私の中の真実のひとつ。

他人と過去は変えられない。

これは親子関係においても同じだと思う。

でも、子どもは親のことを、その小さなクリクリとした目でしっかり見ているよ。

そして、そういう大人になりたいと、きっと思っているよ。

お母さんやお父さんみたいになりたいって・・・。

 

だからね、お母さん。

いいんだよ、子どもを直視しても。

子どものためによかれと思うことを言ったりやったりしても。

 

私を含めて、おそらく教育者を自称する人は、

お母さんのやり方を否定することはあっても、

思いを否定したりはしない。

きっと、周りのみんなも同じはず・・・。

教育者じゃなくても同じはず・・・。

 

だからね、

がんばっているお母さんたち。

もっと自由になろうよ。

わがままはよくないけどさ、

お母さんの心が自由になれば、きっと子どもは自由な子になるよ。

お母さんの心にゆとりができれば、

きっと子どもは相手を尊重する子になるよ。

お母さんの取り巻く環境が、

仮にいろいろなものでがんじがらめになっていたとしても、

子どもの方を見てごらんよ。

彼らは自由な笑顔とお母さんお父さんを尊重する目を向けてくるから。

 

子育ての責任は、もちろんお母さんにもある。

しかも結構大きいかもしれない。

でもね、それは、

その子どもに対して持つ責任であって、

それ以外の周りの人に向けられた責任じゃぁないと思う。

 

中には、

周りの人に迷惑をかける子どもを認めるのか!

とヤジが飛んできそうだけど、

我が子が周りの人に迷惑をかける子であることを望んでいるお母さんって

いるの?

自分の子だけがよくて、周りはダメになればいいって思っているお母さんって

いるの?

もし、いるとしたら、

それは自分の子どもの方を向いていないお母さんだと思うけどな。

自分の子ども対して責任を持とうとすれば、

自ずと自分の子どもに対する思いは、

人に迷惑をかけていい

なんてことにはならないと思うよ。

 

むしろヤジを飛ばした人に聞きたい。

お母さんがしていることを、

お母さんたちが背負っている責任感を背負った状態で

普段からやってますか?

子どものために、もしくは子どもの気持ちになって、

大粒の涙を流したことがありますか?

 

教育業界でよく言われる言葉。

子どもはね、親の言うとおりにはならないもんだよ。

親のやるとおりになるもんなんだよ。

だからね。

お母さんたち。

よくやってるね、がんばってるね。

だから、子どものために、もう少しだけ自由になろうよ。

子どものために、もう少しだけゆとりをもとうよ。

いいんだよ、自由になっても。

いいんだよ、ゆとりを持っても。

 

もし、

もし、迷いに迷ってしまったら、

周りの人に相談しても、それでも迷いに迷ったら、

私でよければ話を聞きます。

解決してはあげられないけど、

子どものために何をすべきかを一緒に考えてあげるぐらいはできるかも。

あくまでも、かもしれない・・・だけどね。

 

いかん。

今日は感傷的になりすぎた!

やっぱり自分の卒業式みたいだったからね、離任式。

 

・・・ 町議会議員選挙の告示まであと6日・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

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