スポンサーリンク

他山の石?

他山の石という言葉がある。

最近は少し間違えて使われることがあるようだ。

「○○さんの行動を他山の石として今後精進します」

という発言をすると、

○○さんに対して失礼だということを案外しらない。

もともと『詩経』という古典の

他山の石をもって玉をおさむべし

からきている。

要するに、

他の山からでた粗悪な石でも自分の玉を磨くには役に立つ

という意味。

そらぁ○○さんを粗悪扱いするから失礼なわけだ。

 

いよいよ告示まで残すところあとわずかになった今日この頃。

人生初と言っていいぐらい、たくさんの初対面をする。

 

ここにきてあることに気がつく。

それは、

初対面の人に対する警戒心。

ちょっとでも関係性が確認できるとずいぶんと対応が変わるのだが、

はじめ見ると、もうそりゃ、後ずさりされるぐらい警戒される。

こちらが挨拶しても、とりあえず挨拶を返すことすらできないぐらい・・・である。

あぁ、そういう世の中になっちゃったんだなぁって思う。

それが、残念なことにその傾向が強いのが

自分と同じ世代の人だったりする。

おそらく自分も含めてそうなんだろうと思う。

もちろん多分に個性の問題なのだろうけど。

そして、警戒心を持っていたとしても

しっかり挨拶を返してとりあえず話を聞こうとしてくれるのは高齢者だったりする。

いやぁ、改めて高齢者の方はすばらしいなって思う。

 

また気がつく。

私がもし知らず知らずのうちにそういう態度をしていたら、

うちの3人の息子はやっぱり自然とそれをまねしてしまうのだろう・・・と。

・・・。

こりゃいかん!

意識して気をつけなければ!

自分の次の世代の人格形成に悪い影響を及ぼす・・・。

 

こういう話をすると、必ず

こういう世の中だし、警戒するのが当たり前だろ!

という反論をされる。

ごもっとも。

確かにそうだよね。

知らない→あやしい→自己防衛機能発動

ということだと思うんだ。

でもね。

だから詐欺にあったりするんだって思うんだよね。

知っている気になる→信用する→無警戒

という構図に、容易に入りやすくなってしまうと思うんだ。

 

そう!重要なのは

知ることそのもの。

知るという行為を怠ってしまった結果、

知らない→あやしい→自己防衛機能発動

知っている気になる→信用する→無警戒

のどちらかに進んでいってしまう。

しっかりと意識的に知ろうとすれば、このコースを進むことはむしろ難しい。

 

教育者としての私は、このことを常に子どもたちに伝えなければならない。

というより、

その姿を見せ続けなければならない。

だから私は知ろうとする態度を怠らないようにしている。

特に人に対しては、その態度をしっかりと持たねば、

自分がその人から得られる何かを得られないばかりか、

相手に対して敵意を生んでしまう。

損をして敵対視されたら、目も当てられない。

人生の中で大損失だ。

だから、自分も子どもにもまず言う。

しっかりと挨拶をしよう!

そうすれば少なくとも、自分の中に相手を知ろうとする態度が生まれるし、

それが相手に伝わって、相手もこちらを知ろうとしてくれるはず・・・。

 

 

小中学校でもやはり挨拶は重要視されている。

その意味や価値を説明しようと試みる人は案外少ないけど。

でも実は挨拶だけじゃなっくって、

各教科を通して学習することは、

知ろうとする態度を育てる

ということ、そのものなんじゃないかと思う。

例えば「英語がすき、数学きらい」ということを言う生徒がいたとする。

私としてはそれを「英語は学習する。数学は学習しない」に

安易に置き換えられるようなことを大人側がしてはならないし、

認めてもいけないと思う。

仮に前者が個性であったとしても、後者は決して個性ではないと思うから。

だってそれは、数学というものに対して、

今この瞬間、感覚的に嫌いだからという理由で

知ることを放棄してしまっている行為だから。

嫌いでもいいのよ。

でも、嫌いと思うことと、嫌いであることを態度で全面に出すことは

イコールであっていいわけがない。

 

知らないから不安になるし、警戒心も増すし、相手に対して嫌な態度を平気でとる。

ここにきて、自分に対して色々な人から嫌みや陰口をたたかれているのをうわさで聞く。

そりゃ言われるよね、私のこと知らない訳だから。

・・・知らないという理由でそういうことを言ってもいいものか?

・・・もしかして、すごくよく知っていて嫌われているのかぁ・・・

あぁぁぁぁぁぁぁ・・・。

と、ナイーブな私としては精神的にダメージを負ってるわけだ。

 

でも、あえて言おう。

他山の石だ。

私はとにかく相手を、人を、集団を、仕組みを、意味を、原理を、思いを、

知ろうとする態度を維持し続ける。

よく、自分を否定的に見たり、自分に嫌な行為をされたりすると

それを反面教師にすると言う人がいる。

それ自体は精神構造的にたいしたものだと思うけど、

でも、行為をしないようにしようとするだけでは価値が薄くなってしまって

もったいないと思う。

要するにそういう人たちに共通なことは、

つまり反面教師になり得るような人の共通点は、

知ろうとする意識と態度が乏しいことだ。

そして、私はそここそを他山の石にすべきだと強く思う。

 

自分の次の世代、

自分の3人の息子、担任をした生徒、自分の学年、関わったすべての人が

少しでもそう思ってもらえるように、

私はその姿を見せ続けなければならないと思うし、

そう行動していかなければ私らしくない!

と改めて強く思った。

 

・・・ 町議会議員選挙の告示まであと12日・・・

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました