最近、うんざりする。
マウントを取りたがるのは動物としての性か?
自分ができる奴だ!
と示さずに、人はいられないものなのだろうか・・・。
褒められたいとか、
認められたいとか・・・
そういう欲求からそういう行動にでるようになるのか?
ただただ純粋に優位性をアピールするための行動なのか?
ただ認められたいというアピールを受けた時は、
実はそれほど不快な思いはしない。
あぁよくできているなぁ・・・とか
自分にはそんなことできないなぁ・・・とか、
純粋にそういう思いがして、
素直にその認めてほしいという気持ちに対応できる。
しかし、それが虚構だったりするのは、
人の欲のみが全面に出すぎていてうんざりする。
実績のない大言壮語というのは、
うんざりするのを通り越して哀れにすら思える。
これは子どもが親や教員に対して起こす行動の形式に、
よく見られるものだ。
もちろん、子どもがすることだから注意喚起をするわけだが、
これが大人がやっているとなると、
うっとおしいだけの存在になる。
そもそもそういった人は注意喚起をされることを望んではいないし、
むしろ自分の羞恥心を見透かされたと思うのか、
言い訳を連発したり、急に逆上して攻撃的になったりする。
また、単に認めてほしいというのではなく、
優位性を保つために
相手を下げることでマウントを取ろうとすることもある。
これはもう、哀れを通り越して醜くすらある。
自分の価値を自分で上昇させるならまだしも、
比較の中で相手より上のところを見つけて、
自分が優れていることをアピールするなんざ、
動物のもつ本能に身を委ねてしまっていて吐き気がする。
子どもの世界では、割と頻繁に見られる。
一番シンプルなのは、
大きい声や暴力によって優位性を押し付けるパターン。
他にも授業中、他の子の答えをバカにするとか、
団体競技の中で、
技能の低い子にたいしてボールを回さないなどの行為をするとか。
それを私は醜いことだと思うし、
教育の現場では、現にそれを戒めているつもりだ。
だが、そういったことを良しとする大人が多いのも事実で、
しかもそれを恥ずかしげもなくやっている上に、
自分が被害を受けたときだけ大騒ぎをする輩がなんと多いことか。
弱肉強食がこの世のルールだと言う人がいる。
まぁ、それは間違っているとは思わない。
だが、それが良い姿だと、
自然が本来持っている姿がベストであると、
そう思っているというわけではあるまい?
弱者であることを、それが自然の法則だからと受け入れられるほど、
人という種族は達観していないし、
強者であるからといって、そしてそれが自然法則だからといって、
弱者に対して非人道的なことをするほど、
人は強くはできていないと思う。
本能に逆らって生きる!
これが私の人の生き方の1つの答え。
教育現場で子どもにわかってもらいたいことの1つでもある。
よく、ボランティア活動などの人の優しさについて
そんなのは偽善だ!
という人がいる。
だけどそれを言う人の中で、
善を行っている人を私は見たことがない。
偽だろうがなんだろうが、
善だとおもうことを、本能に逆らって行動している人に、
私は素直に敬意を表したい。
逆に、そんな陳腐な言葉で、
マウントを取りに来る人にたいして幻滅を感じざるをえない。
私は、自分のできないことをしている人に、
素直に敬意をはらえる人でありたいし、
私に関わる子どもたちも同様にそうあってほしいと願うばかり。
7月臨時議会開催まであと12日
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