昨年度から1人、個別指導という枠で、
高校数学の基礎を指導している。
私が営んでいる佐久穂学習倶楽部において、
部員と呼んでいるいわゆる塾生の1人だが、
その子も高校2年生となり、
今では数ⅡBを指導するようになっている。
正直なところ、数ⅡBの学習内容に直接触れるのは、
もう何年ぶりだろうというぐらい久しぶりだ。
ちなみに数ⅠAについては、
中学校教諭時代・・・とはいっても私立なので、
すでに指導した経験があるからそれほど問題はないが、
さすがに数ⅡBは・・・
と思っていたが、
案外記憶に残っているものだと、
自分でも驚いている。
教科書を久しぶりに見ても、
その解説の丁寧さや学習段階の構成は、
それこそびっくりするほどしっかりできている。
・・・なぜ、自分が高校生のとき、
こんなにわかりづらく感じたのだろう???
と不思議に思うぐらいだ。
おそらくこれは、
人の学習の仕組みにかかわる命題なのでは?
と、この歳になって強く思うようになってきた。
つまり、
教科書のような読み物による学習は、
視覚から言語による思考を経由した学習で、
そこには一定の、
言語体系化された知識が必要不可欠である・・・
ということである。
だから、一般的には復習に向いている。
ところが、子どもたちにとって教科書というのは、
必ずしも優れた参考文献・学習資料である・・・
という認識は極めて少ない。
そこにはきっと、言語を通した理解というものが、
いわゆる初めての学習には不向きだからに違いない。
では、どうやって初めての学習をなじませるか。
そこにあるのは経験の蓄積にほかならないのではないか?
理由や思考はともあれ、
学習したという実感をともなう経験・・・
それは達成感であったり悔しいという気持ちであったり・・・
そう、まさに気持ちに由来するものが大きく影響するのだろう。
だから学習は難しい。
理解し思考し利用する前に、
その気持ちを呼び起こさなければならない。
小さい頃なら、
親に褒められたとか先生に褒められたとか、
そんな簡単なことで得られる気持ちが、
中学生くらいになると、
気持ちの多様性が発生して、
中学生本人ですらあやふやになってくる感情を、
まわりの大人が無理くり自分の経験に当てはめて、
推測するしか手がない状態になってくるわけだから、
そりゃ、その難易度は半端ないものになる。
どうも大人というのはいけない。
自分が通り過ぎてきたときのモヤモヤをすっかり忘れて、
通り過ぎてきたという事実だけを当たり前のように受け止め、
それを最良であるものとして提示する。
教科書はその典型的なものであるかもしれない。
国語の教科書の題材で、
親子関係などの小説文が活用されることがあるが、
いやいや、子どもからしたら親の気持ちなぞわかろうはずがない!
にもかかわらず、それを理解させようとする・・・
そんなのをよく見かけるたびに、
あぁ、いまならめっちゃわかるわ~
という気持ちになる。
と、同時に、
子どものころはわからなかったなぁ・・・という思い出も蘇る。
とりとめのない話になったが、
大人たちに勧めたい。
今の子どもの教科書・・・
自分の得意なもしくは好きな教科だけでいいから、
少し読んでみてほしい。
きっと、新たな発見があのときの記憶とともに得られるはずだ。
私も、
機会があれば、大人の皆さんに、
今の小中学生の教科書の面白話なんかをしたいなぁ・・・
なんて漠然と思っている。
明日、6月定例会開会

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