7月30日の9:30ごろに緊急地震速報が鳴った。
千葉県が震源とのこと。
しばらく待っていたが揺れは感じられなかった。
この後、11:30ごろに気象庁から誤報であったとの謝罪があった。
この誤報について、あれやこれやと物申す人がいる。
どう思ったか?どうしてほしいのか?を主張することを、
禁じてしまったのでは、もともこもないので、
そのあれやこれやを言う人を悪人に仕立てるつもりはない。
もちろん同時に気象庁の緊急速報を悪く言うつもりもない。
ただ、あれやこれや言う人の中で、
攻撃性をもった発言が散見されるのは悲しいことだ。
2つの話をしよう。
歴史的認識の誤謬があれば申し訳ないが、
8月6日、広島に原子爆弾が落とされた際、
直前に空襲警報が発令されなかった・・・という話を聞いたことがある。
さらに8月9日、長崎の原子爆弾投下の場合は、
出された空襲警報が長崎まで届かなかったという話もある。
ほとんどの人がその話を聞いて、怒りがこみ上げてくるのではないか?
そしてそんな中で、どっかの誰かが自分は正義だと言わんばかりに、
結果的に誤報だったとしても、警報は出すべきだ、と・・・。
警報というのはそういうものだろ!・・・と言うのである。
いや、ごもっとも!
だったら今回の地震速報の誤報ぐらい、
あぁ、誤報かぁ・・・よかったよかった。
ぐらいは言えないものか・・・。
後出しジャンケンみたいな発言は聞いていて頭が悪そうにきこえる。
別の話。
AくんがBくんの家族について罵詈雑言を浴びせたため、
BくんはAくんを叩いた。
という、よくある学校での1場面。
これ、当事者になればなるほど話がこじれる。
なぜって?
善悪を決めたくなるから。
なんで善悪を決めたがるのか?
答えは簡単。
悪の側に自分たちが入りたくないから・・・。
だからAくんとその保護者は、暴力は絶対いけないとBくんの罪を問い、
Bくんとその保護者は、心を傷つけることをしてもいいのか?とAくんの罪を問う。
そんでもって教員などはその是非を明確にするため奔走する・・・。
そこにあるのは善悪を決めることによる自己保身。
でも、自己保身が成功したとして、
Aくんにせよ、Bくんにせよ、
今後、人生の中でプラスとなるような経験になりうるとは思えない。
そんな自己保身のために善悪の価値観を利用するなんてことは、
私に言わせれば下策も下策。
自分にとってなんのプラスもない行為であると思うのだが・・・。
教育者として言わせてもらえば、
善悪の価値観の話をするならば、
Aくんも悪でBくんも悪・・・というか、
AくんもBくんもそれぞれ自分自身に向けて改善すべきところは明らかだ。
そこを改善すべき教育的指導をするのが教員であって、
裁判官の真似事をすることが教育だと思いこんでいる人が案外多い。
特に迷惑をかけてしまった子どもの保護者ほどそう思い込んでいる傾向がある。
今回の誤報についても、
まるで自分が全世界の支配者のような顔をして、
ことの是非以上に善悪を主張し、他罰的傾向を全面に出す人がいるが、
いや、あんたは防災グッツを揃えたり、その瞬間、避難姿勢をとったり、
その誤報のあと、本当に来るかもしれない未知の地震速報に、
あらためて備えるべく準備や対応を強化したりしたのか?
と、問いたい。
改善点が見つかっていれば、誤報に目くじらを立てることもないし、
準備が万全だったと再確認できたならば、それこそ誤報でよかったと思うことだろう。
私は想像してしまうわけだ・・・
いったいどんな人がその誤報に怒りをあらわにしているのだろう?と。
最近、民主主義という多様な価値観が共存できる考え方から、
善悪二元論のような思考へと世間が移り変わってきているように思う。
理由は簡単だ。
単純だとそれぞれ個人にとってわかりやすく、
しかも自分が善の側に位置していると実感しやすいからだ。
ところが、民主主義かつ法治主義のほうでも、
その危険性を実によく理解していて、
あえて善悪の議論は脇においておいて、
法律という一定基準を設けることで、
ある程度、二元論を避けて多様な価値観を享受する仕組みを
巧妙に作り出してきたのではないか・・・。
と、最近思うようになってきた。
でも、そのあいまいさとわかりづらさが、
不満と不安を拡大させ、
善悪二元論的な思考へと、
堰を切ったように流れていってしまっているのではないか・・・。
理想的かつ空想的な民主主義的ドイツワイマール憲法から、
ナチスのヒトラーが生まれた歴史的事実を見ても、
あながち間違ってはいない気がしてしまうから始末がわるい。
他人と過去は変えられない
というのが信条である私はある程度自分に課していることがある。
他人にお願いしたり、指導したりはもちろんするが、
それよりも自分自身の改善に頭と心、思考と時間を割くようにしている。
だから、今回の場合、
誤報はある程度はある。
速報を出している側に親切心こそあれ悪意はない。
自身に対する準備、とくにシュチュエーションの対応力が、
不十分だったなぁ・・・。
と、思うにすぎない。
書く必要もないわけだが、
あえて今回の誤報について他者のことを言えば、
気象庁の速報出す人たちへ・・・
色々とごちゃごちゃ自己保身のために意見を言う人がいますが、私はその緊急速報を必要としています。恐れず、出してください。改善点があることは、私達よりも十分に理解しているはずですから、納得の行くように改善してください。
今後もよろしくお願いします。
といったところだろうか・・・。
他人にイラッとすることはないのか?
と、聞かれる事がある。
あるにきまってるでしょ。
でも、そのイラつきを消化したり改造したりできるのは、
そのイラッとした自分自身だけなんだから、
イラッとして他者を攻撃する暇なんかないな・・・
というのが本音。
人生、自分について研究するには、あまりにも時間が短すぎると思う。
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