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未来の分かれ道は分かれ道なのか?

選挙が終わってから、

月曜日・火曜日と連日、

議会だよりの作成のためにあっちこっちに行っている。

原稿を整えたり、校正をしたりというのもあるが、

主に写真の収集に時間を取られている。

 

議会だよりに限らず、広報の研修に参加すると、

必ず、紙面に写真を増やそうという話がでる。

こういったブログもそうだし、SNSなんかも同様だ。

Youtubeが当たり前に見られるようになってきて、

サムネという言葉も当たり前に使われるようになってきたし、

アイキャッチという言葉も普通に使われるようになってくるなど、

とにかく写真の効果というのが大きい。

 

そんなわけで、

普段、町民のみなさんが見る機会がないような写真を!

と思って、あちこちへとバタバタと移動しては写真を撮る。

できる限り興味換気できそうなものを・・・と、

いつも気にかけながら。

 

・・・ふと思う。

というか、ここ1日2日は思い出したように思ってしまう。

日曜日の夜に、もし落選していたら・・・

自分の生活はどの様に変わっていただろうか?

 

・・・議会だより作成の仕事をしながら、

そう思ったとき、

あれ?

もしかして、落選していても、

ここ数日の動きに影響はまったくなく、

やっぱり議会だより作成のために、

原稿を整えたり、あっちこっち行って写真を撮ったり、

校正をしたりしているのではないか?

 

なんだかおもしろい。

未来に向かう道は、

決断や結果によって枝分かれをしていると勝手に思い込んでいた。

いや、それはそれで真理であろうとは思うが、

枝分かれしている道は、

同じ場所を通っているということもあるのではないか?

と、なんだか面白く・・・そして、

自分が色々と考えていることそのものがちょっとバカバカしく思えてきた。

 

そもそも別の未来を知ることができない以上、

思いを馳せても、何か世界が変わるわけではない。

自分を変えることはできても、世界は変わらないということなのだろう。

 

本日、広報編集調査特別委員会活動

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