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プログラム規定説と長野県の新しい学び?

11月10日に長野県教育委員会との

教育懇談会を長野県PTA連合会で行った。

その際に、長野県教育委員会が目指す、

新しい学びとその学校の姿の説明を受けた。

そのときの資料を添付。

話が急に飛んでしまうがご容赦願いたい。

 

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する

よく中学公民で覚える憲法25条。

いわゆる生存権。

いま、ちょうど佐久穂中学9年生は学習しているころか。

これ、高校の政治経済では、

ここでプログラム規定説も学ぶ。

 

プログラム規定説というのは、

もともとはドイツの憲法学の中で出てきた考え方で、

特定の人権に対して、形式的に法文に明記してあるけど、

それは国の努力目標として書いてあるんだよ、

って考え方。

日本の場合は、もう少し柔らかい感じになっている。

昭和42年の朝日訴訟が有名な判例だ。

 

話を戻す。

長野県教育委員会が目指す教育。

実に素晴らしいものだと思う。

だが、これが現実的かというと、

そうではないことは、誰もが承知するところ。

 

まず、教員の労働環境について、

人権的配慮に関する考察がされていない。

これで子どもたちにとって良い環境が提供できるとは思えない。

それに、

評価というものの存在の不要性

についての検証もかなり苦しい。

もちろん長野県教育委員会は、そんなこと百も承知だろうし、

私としても、そのつらさは痛いほどわかる・・・

 

学校が評価する限り基準があって、

基準がある限り画一的になりやすい。

そりゃそうだ。

基準があるから教科的な授業が成り立つのだから。

 

また、

評価は教員が理解できる範囲でしかできない、

という根本的なことも検証されていない。

一人ひとりの個性を尊重するというならば、

どうせ公文書じゃないんだろうから通知表は廃止に、

高校入試も全部くじ引きにすればいい。

 

私は長野県教育委員会の目標というか理念を

否定する気もないし、むしろ応援したいぐらいだ。

だから、それはプログラム規定説的な発想なのだろうと、

今後、長くかかってもやり遂げたいものなんだろうと思う。

教育現場が抱える問題を、

この理念に基づいて、理解をし、対策を打つという、

長野県教育委員会自身の戒めとしての評価は高い。

 

ただ、

かつて隣の大きな国で、

ある指導者が鉄が大事と発言したために、

国内の生産構造や自然が、

人の生命を脅かすほどぐちゃぐちゃになったのは、

歴史的にそれほど昔のことではない。

正しい理念や考え方であっても、

正しい行動にはつながらなかった事例は、

大なり小なり枚挙にいとまがない。

その歴史的な数々のミスリードも、

プログラム規定説以上に忘れてはいけないのだ。

 

長野県教育委員会はこの理念を守る姿を、

子どもたちに、保護者に、そして教員に見せねばならない。

隣の大きな国の指導者は、鉄が大事だというならば、

私財をなげうってでも、

一流の製鉄所をつくるための、

研究・建設を推し進めなければならなかったのだ。

本気である姿を理念だけでなく、

具体的に見せなければならなかったのだ。

だから、長野県教育委員会はそれを示さなければならぬ。

 

義務教育における通知表の廃止と、

各高校への人事権のシステム的移譲。

思いつきで、トンデモな内容ではあるが、

それぐらいのダイナミックな改革を・・・

あぁ、長野県教育委員会が1番苦労を背負ってるなぁ・・・

って誰もが感じるような何かを、

具体的に実行する以外、

この理念を暖かく包み込めるような状況は生まれてはこないだろう。

 

本日、11月臨時議会開会

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