立候補を決めて、ジジとババの協力も仰げるようになって、
いよいよ私という人物を知ってもらわなければ・・・
と強く思うようになってきた。
ここまで書きためたブログも最新のものだけではなく、
以前のものや、関連のあるものも
リンクをたどって見られるようにしなきゃと思う。
何にせよ、知られなければ・・・。
むろん後援会なんかは作るつもりは毛頭ない。
応援してくれる人が広く後援者。
何を甘っちょろいことを!
と言われるだろうなぁ。
甘っちょろいと・・・いやぁ、体型的にはちょろくはないが・・・
甘いのは認めよう。
でも、教師をやってきて思ったわけだ。
集団というものは、結束するための何かが必要なんだよね。
それは、
厳格な宗教のように、ときに、厳しい決まりであったり、
急成長中の会社のように、ときに、共有できる利益であったり、
特別な政治団体のように、ときに、共感できる理念であったり、
色々ある。
ただ、その中で、もっとも効率よく手軽に集団を結束させる方法がある。
それは、共通の敵への憎しみだ。
これは、集団をひとつにとりまとめるために、
集団のリーダーがよく用いる手法だ。
高度に政治的なはずの国際社会において、
なぜか実例が非常に多く見られる。
これの集団をとりまとめる手法は、
そんな国際社会から、企業、部活、子どもの遊び仲間にまで使われている。
人間が、もしくは動物そのものかもしれないが、
本能的に持っている手法なんじゃないかとすら思う。
だから、結束力のある集団を作り上げるということに関しては、
一歩間違えると、
そういった切なくてピリピリとした非人道的な
寛容さと広がりを持たない集団になってしまうから
特に慎重をきさねばならない。
だから後援会は今の私には分不相応。
まぁ、これはうぬぼれであって、
そういった大きな集団が私という個人を推薦してくれる訳がないから、
実質は杞憂というものだけどね。
それに、
なによりも、私個人としては、
私自身が、
佐久穂町で子育てをしている親の後援者
佐久穂町の教育をよくしていこうとしている人たちの後援者
でありたいと、強く思っている。
むしろ、自分が町議会議員という立場になるなら、
後援会に背中を押されて行動するより、
町民のみなさんの背中を押してあげたい。
で、
みんなで進んでいけばいいと思っている。
そういった意味では、
実は佐久穂町にあまり失望していない。
失望するどころか、私が勇気づけられて、
未来は明るいんじゃないかって思わされる。
だって、佐久穂町の人ってとっても政治的というか、
こういう町にしていきたい!
という思いをもった人が多いんだもん。
自分の町のことを自分のこととして考えてる人が結構多い。
正直、立候補すると決めてから、そんな声を聞きはじめた。
いく人かの町民の方が、
こんな町にしたいとか、
こんな企画をしたいとか、
こういった仕組みを作りたいとか、
そういった思いを言葉や文章にして・・・私に伝えてくれる。
でも、そういった声を聞ける一方、
私、町議会議員選挙に出ることに決めました!
と、地区の人にいうと、
「や!おもしろい冗談だね」
という返事が返ってくることもしばしば。
きっと、町議会や町議会議員が遠い存在なんだろうね。
要するに、思いはあるけど、
それは「きっと届かない」と思い込んでいるんじゃないかなぁって。
いや。本気で出ますよ。
っていうと、急にその距離が近くなるのか、
私への応援の言葉と、
その人自身の町に対する思いや、
今までやってきた活動について、私に話してくれる。
思ったよ。
やっぱり、私は町民の後援者にならなきゃいけないんだって。
私は町民のみなさんの背中を押して、
町政や町議会への距離を近づけて行かなきゃいけないんだって。
中学校の教科書に書いてある。
「地方自治は民主主義の学校」って。
それが現実になるようにしなきゃいけないんだ。
もちろん、
私がみなさんの思いをすべて具現化するわけではない。
具現化するのは、思いを持った人にやってもらいたいし、
そうであるべきだ。
だけど、それらの中で共感できるものを後援することはできる。
いや、それは必ずやらねばならない。
そういった思いと行動の連鎖が、
他の人に伝わったり、他の人を感化したりして、
みんなが前に進む集団ができる。
もちろん、私個人としてもそういった思いはある。
だから、率先してその思いを行動に起こす。
それを見て、別の人が勇気づけられれば、こんなに幸せなことはない。
これって、私の描いてきたクラス担任の姿に似ている。
実際に、私はそう思って、
佐久長聖中学校のスキルアップコースの担任として
クラス運営をしてきたつもりだ。
だからそういった私を作っている根本的な考え方は、
きっと、どういう風になっても変わらない。
あぁ、ちょっとばかり、思いを語りすぎたようだ。
何を言ってるかもよくわからなくなってきた。
要するにだ。
集団は個の集まりであって、
その個々が生き生きすることが、
集団を本当に輝かせることになる
と、甘っちょろい考えを持っているってことだ。
でも、自分の経験から、
それは不可能ではないと言い切る。
もっと、町民の思いを聞いてみたいな。
是非とか高低とかはどうでもいい。
思いの本質は、きっとみんな、似通っているんだろうから。
それにみんなが気づけたら、
みんなで進むことができると思うんだよね。
甘っちょろくて、ごめんねぇえ。

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