私の人生で教育のしめる範囲はでかい。
私はどこまで行っても教育者というものを捨てられないだろうし、
捨てたくはない。
捨てる必要もないと思っている。
う~ん。
捨ててはいけないと思っている。
きっと、「教育がしたい」と思っているわけではないんだ。
自分が教育者たろうとすれば、
自分の望む人格が保っていられる
自分のことを嫌いにならないでいられる
ということなんだと思う。
みなさんの応援や指摘、忠告などを受けて、
あぁ、自分ってダメな人間だと
ものすごい勢いで落ち込むことも増えた。
それはあくまでも自分自身に対しての落ち込み。
周りの人に対しては感謝の念しかない。
ほんと涙がでるほど嬉しい。
だが一方で、
今度のことで、人の醜い面が見え隠れするようになった。
それでまた落ち込む。
自分が圧倒的な力量を持っていれば、
そういった面を引き出さないで済むのに・・・。
ああ、なんて私は、
浅ましい人になってしまったんだと、
はじめの頃の潔さはどこへ行ってしまったんだと、
昨日1日ずっと落ち込みつつ、反省していた。
だから、これを書いている。
書くことで自分の混沌としたものが
まとまることはよくあるから。
抽象的な話ですみません。
で、気がついた。
私が教育者であり続けようとする理由。
子どもたちに伝えているようなことを
例えば、
偏見をもって人に接してはいけない、とか
人の話はしっかり聞かなければいけない、とか
感謝の気持ちを忘れてはいけない、とか・・・。
そういった人としてのあり様の理想を
少なくとも我が子たちに、
できれば関わりを持つすべての子どもたちに見せなければならない。
人としての、少なくとも私が正しいと思っているあり方を
私が思っているのだから、私が見せなくてはいけない。
つまり、教育者であることが
自分の思っている正しさというものの
実践者であることになるのだ。
小さな町といえども、政治の世界。
政治の世界には魔物が住むという。
どんな姿の魔物かは知らないが、
教育者としての実践者であることを捨てず、
45歳、にしべもとかず。
まだまだ心に住む魔物に負けない、
しなやかさを持った強さを身につけなければならない。
・・・ 町議会議員選挙の告示まであと29日 ・・・
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