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垣間見たもうひとりの私?

9月23日の朝6:45から、

秋の交通安全人波作戦に参加してきた。

場所は、国道141号線沿い。

もう使われなくなった旧八千穂庁舎前。

佐久穂町の交通安全協議会や役場職員、

佐久穂町議会議員などが、

のぼりやプラカードを持って朝通勤する車に、

交通安全を訴えかけた。

 

東日本台風災害や新型コロナウイルス対応のため、

2回ぐらい中止になっていたように思うが、

久しぶりにこの行事に参加してみて、

交通量が減っているなぁという実感を得た。

中部横断自動車道ができてから2年もたって、

改めて実感するのもどうかと思うが・・・。

 

そんな中、

相手は全く気がついていないだろうが、

佐久長聖勤務時代の同僚が通勤していくのを見た。

あのまま勤めていれば、

今頃はその人と同じように出勤途中の車の中かぁ・・・

なんて思ってしまって、

人生というものはわからないものだと、

なんだかしんみりしてしまった。

 

よく教育者は子どもたちに

夢を持てだの、

将来のビジョンを描けだの、

といって、将来に向けての意欲を駆り立てる。

中には未来の履歴書を書いたりすることも行う。

それ自体は別に悪いことではない。

が、それはあったほうがいい・・・程度のものであって、

それがないこと自体、大きな問題とはなりえないはずなのに、

やたらとそこを強制力をもって指導する傾向にある。

 

でも、ほとんどの大人が思うはずだ。

人生ってわからないものだなぁ・・・って。

先の同僚の通勤の様子が、

たくさんある未来の中の1つの自分であると思ったとき、

多様性に対応できる力が必要なのだと、

改めて感じた。

 

ある大きい会社の社長が、

新入社員を前にして言ったそうだ。

私はこの会社の社長になるなどという

未来図は持っていなかった。

重要なことは、

今ある状況で最善をつくすことである。

・・・と。

 

未来を見据える子どもたちにも、

当然、伝えたい言葉であるが、

今を生きてしまっている私達大人にこそ、

その言葉は受け止められなければならないし、

実感として受け止めやすい言葉のはずだ。

 

佐久穂中学校生徒会インタビューまであと7日

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