7月12日は松本市にあるキッセイ文化ホールで、
町村議会議員研修会が行われた。
前半は江藤俊昭氏の講演で、
こちらについては前回の記事を御覧いただきたい。
今回の記事は、
後半にされた月刊ソノコト編集長の指出一正氏の、
私たちはローカルで幸せを見つける
という講演を聞いた。
内容は、関係人口の作り方や仕掛けと、
リジェネラティブについて。
とりあえず、リジェネラティブという言葉の意味。
リジェネラティブ(regenerative)は日本語で「再生させる」という意味の言葉で、ビジネスシーンでは「場所やシステムを改善すること」「事業をより活発にしたり成功させたりすること」「人をより幸福で前向きな気分にさせること」といった意味。
いわゆるはやりの持続可能、サステナブルsustainableと同じように使われるが、
サステナブルが持続させること、
つまり悪化させないことに重きを置くのに対し、
リジェネラティブは、
新しい価値を生み出して再生するといった意味合いが強い。
最近、よく使われるようになった言葉だ。
さて、講演の内容は、
ようするに関係人口をつくることで田舎をリジェネラティブすること。
その事例のいくつかを紹介してもらえた。
話は面白かったし、事例も参考になった。
ただ、ひとつだけ確認しておかなければならないのは、
その事例がすべて土壇場での活動であることだ。
つまりどの事例も、
地方自治体だけでなく住民も含めて、
ほとんどが危機感を持っている・・・
つまり、このままではマズイと思っていること。
そして打つ手がない!と思っていることだ。
だから、藁をもすがる思いで外部に委託する。
その作戦に住民が前向きに協力する。
そうすることで突破できたのが今回の事例であると思う。
よそ者が何でかい顔してるんだ!
そんなの俺達だってできるわ!
と思っているうちは、きっと参考にならない話だったに違いない。
だから言いえて妙なのだが、
サステナブルでは駄目なのだ。
今の状況に満足していてそれを維持したい・・・という思いでは、
きっとリジェネラティブの発想は出てこない。
不死鳥は灰の中から蘇るとよく言うが、
不死鳥が不死鳥である自覚こそが最大の問題なのだ。
資本主義的な価値にもたれかかりすぎるのも、
かつてから言われている通り、
リジェネラティブの足かせにしかならないのかもしれない。
いまえられている権利・利益・価値は、
衰退していくことはわかっていても、
自ら捨てられないということでもある。
でも、個々人のその欲望の集合体は、
おそらく民主主義では最強最凶である・・・。
本日、群馬県南牧村議会交流
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