長男が書いた
物づくりの動機
のデータ化が終わったので2回にわけて載せる。
前編。
朝日を浴びて光る黒い果実。茂来高原の宝石とよばれるそれを作っているのが僕の祖父母だ。七月上旬、祖父母の栽培したブルーベリーで作られたジャムが給食に出た。
ブルーベリーはブドウのように房で育つが、ブドウとは異なり、房の中で一粒ずつ違う速度で熟していく。そのためすべての木を回り一粒ずつ収穫しなければならない。一粒が一グラムとすれば、一キロ摘むのに千粒。選別して捨てる分を考えれば、どれだけ手を動かさなくてはならないのか。父母も、この収穫時は手伝い、もちろん僕も兄弟も、できる作業をしてきた。だが、中学に入り部活中心の生活になると、手伝いに行けても午前中の部活が終わった後に少し関われるくらいになった。
今年僕は中学三年。部活が終わり、受験勉強が本格化した。父と高校に入ってから、またその先どんなことをしたいか、よく話すようになった。父に、「将来ブルーベリーの経営を祖父に教えてもらいながらやってみる?」と聞かれた。「面白そうだね。」と答えると「ちなみに仕事をどれぐらい知っているの?」と聞かれ、考えてみた。作業を七つしか思いつかない。それもいつ、なんのためにやっているのかは全然分からない。もし教えてもらうにしても『何も分かりません』からでは、祖父のやってきた事を侮っているようで嫌だった。教えてもらう前に少しでもどんな作業をしているか知らないと。そこで、今年は、今まであまり行ったことのない収穫から手伝おうと決めた。
まず、祖母に朝の動きを聞く。祖母は「朝四時に起きて…まあ、歳だから起きちゃうんだけどね。」と話し始めた。作業場に新聞を広げてから、四時半に畑に行き摘み取りを始める。七時半頃家に戻り、ブルーベリーを新聞の上に広げる。乾かしている間に朝食をとり、八時頃から選別。「雨の日に取るともうちょっと乾くのに時間がかかるけどね。」と祖母は笑った。これを六月下旬からお盆の頃まで毎日繰り返しているのだ。改めて聞くと「さすがに一か月もやっていると疲れがたまるな。」と言っていた七十四歳の祖父の姿を思い出し胸が痛んだ。七月の終わりには夏休みに入る。僕は、少しでも二人の作業を減らしたいと思った。そして二人と同じスケジュールで働いてみようと決めた。
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