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物づくりの動機後編!

長男が書いた

物づくりの動機

のデータ化が終わったので2回にわけて載せる。

 

後編。

 初日、三時四十五分に起きた。水分を持ち四時に家を出る。そして自転車で五キロ離れた大日向の畑へ出発した。まだ辺りは薄暗く、明けの明星や月が美しく輝く。東に向かい緩い坂道をのぼり続けて行くと、山際がだんだんと白くなっていくのがとてもはっきりと見える。枕草子の『やうやう白くなりゆく山ぎは』の一節が頭をよぎる。〈いとをかし〉その世界が色づいていく時間が美しいと思えた。昔も今も変わらない自然を美しいと思う人の心の動きに時間を超えて確かにそこにある物の不思議さを思った。
 畑に着くと、すでに摘み取りが始まっていた。「しまった。あと十五分早く家を出ないと間に合わないのか。」と思いつつ、急いで合羽を着、腰に籠を付け、祖母と一緒に摘み取りを始める。朝露が葉や実に降りていてびしょびしょになる。籠いっぱいに(三十分程)約二キロを摘むと、手の先がしわしわになってくる。その冷たさに指先の感覚がなくなり、狙った実を摘めない。畑に朝日が射し始めると、実が白く光り余計に取りにくくなる。熟しているものを摘んだつもりでも、籠を見ると赤い実がかなりはいっている。祖母は「私もそんなものよ。」と笑って励ましてくれたけれど、正直がっかりした。なぜなら熟していない実は酸っぱく見た目も良くないため、選別の時にジャムに回すことになるからだ。摘む事一つ取ってもとても気を遣い難しい。
 家に帰ると扇風機を回し、新聞の上に実を広げていく。祖父は腰を痛めているので、僕は張り切ってやった。露をとる間、三人で朝食をとり一息ついた。
 ここから先は、今までよくやっている作業だから本領発揮!と張り切ったのに、摘み取りをした後だと集中力が欠け、最後まで選別ができなかった。時間までに荷作りを終え、車まで運んで仕事は一段落。祖父母はこの後、出荷や配達に行くのだが、僕は二人のたくさんのお礼に背を押されながら家に戻った。
 二日目は起きられず、手伝いに行くことができなかった。一日でこれだけ疲れるのに、祖父母はこれを毎日やり続けている。実際一緒にやる程に、祖父母のすごさが分かった。
 何が二人の原動力になっているのだろう。『食べる人の笑顔が見られる』や『美味しいと言ってもらえる』等はよく聞く言葉。しかしそれだけで、こんな大変な作業を十年間も続けられるものだろうか。この疑問の答えは、これから様々な作業を手伝っていく中で見つけていきたい。そしてそれは、僕の将来『なぜ働くのか』『何をしたいのか』という課題への答えの糸口になるんじゃないかと思う。

本日、佐久穂商工会との町民交流会

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