今週の土日は両日とも、
三男の小学生ソフトテニスの大会が松本であった。
同時に、次男は中学1年生なので、
土曜日にソフトテニス部の練習が、
また日曜日にはソフトテニス部の練習試合があった。
実にスケジュールというのは重複するものだ!
もちろん小学生というのは、
ひとりで松本まで行けるわけもなく、
朝7:00ぐらいにつくように、
送っていかなければならない。
その上、中学1年生の部活の予定もあるので、
私と妻が分業して担当しなければならない。
ふと思う。
自分がこどものころはどうであったかなぁ?
私は小学生の時、
小学校の部活としてサッカーを、
また休みの日は・・・当時は日曜日しか休みがなかったが・・・
地域の少年野球をやっていた。
でも、いくら考えても、
親に送迎をしてもらった記憶が出てこない。
隣の隣の小学校まで自転車でエッコラエッコラこいで、
行っていたような気がする。
変な話がそのまで遠くに試合をしに行く必要もなく、
予選敗退していた・・・といえば、
そうなのかもしれない。
実に子どもの活動に対して、
親の尽力度合いは、その余力もあってか、
かなり大きくなってきている。
それは満足度や幸福度が向上するということと同時に、
負担が増大するという状況だろう。
一方で、法律と制度から、
日本国民の6歳から15歳まで一律に、
学習をしている。
ところが、そういった誰もが行う学習について、
親の尽力度合いも、当の本人の尽力度合いも、
大したことはないような気がする。
そのあたり、
国がもとめる子どもの向上というものと、
親がもとめる子どもの向上というのは、
大きく乖離してき始めているのかもしれない。
同時に、
親がもとめる子どものありようと、
子ども自身がもとめるありようも、
大きく乖離し始めてきているともいえる。
100年後といわず、10年後20年後・・・
私が60歳・70歳、そして長男が25歳・35歳・・・
となったとき、
どんな世の中になっているだろうか?
その世の中に合わせるように子どもたちは、
成長しつつ対応していく。
そんな中に今の大人達が入り込むスキは、
いったいどれぐらいあるのだろう?
当たり前だと思うことを、
当たり前だと思わないように意識をしていかなければ、
きっとそこに、
私達40から50歳代の生きる場所はないのかもしれない。
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