長野県の小中学校の多くは、
2学期の終わりに保護者懇談会を開き、
小学校の場合、その段階で通知表を受け取る。
直接、保護者と学校の様子などを話すので、
実は2学期の通知表の担任所見というものはなく、
その欄もない。
一見、教員が、所見を書かなくてもよい・・・
という意味において、楽できるという言い方もできるが、
実際のところ、これは全く値しない。
なぜなら最近の小学校の通知表は、
英語と道徳について、
所見を書かなければならなくなってしまったからだ。
正直なところ仕事が増える一方である。
そもそも通知表というのは通知する紙であって、
法的な根拠はない!
しかも公式記録としての位置も持っていない!
つまり、学校から子どもや保護者に対して、
学習状況などを伝えるための報告という意味でしかない。
普段、子どもが持ち帰ってきているお知らせの紙と、
なんら変わるところがないものだといえる。
ところがなぜか日本の教育では、
通知表が神々しいばかりの光を放っているように見える。
だから、逆にその内容に、
保護者も子どもも一喜一憂することになる。
通知表が必要なのか?
という、そもそもの命題がそこには存在するようにも思う。
というか、
そもそも学校は何を目的に存在し、
保護者は何を期待して・・・
言い方をかえれば
教育のどの分野を保護者が委託しているのか?
ということを改めて明確にしなくてはならない。
学力なのか、考え方なのか、体力なのか、仲間なのか・・・
そもそも昼間に自宅にいなくてもいいという、
子どもの安全もしくは親の時間の確保なのか?
そう考えたとき、
保護者である私は感謝こそすれ、
過度な要求をさも自分の権利のように主張するには、
少なからず躊躇する。
通知表を2通もらってきたが、
本当に教員の方にはご苦労いただいて申し訳なく思う。
正直なところ、
通知表は我が家は不要です!
と、選択できるのであれば、
私は率先して不要に丸をつけたい。
学力についてはテストを見ればわかるし、
普段の様子は子どもに報告させるべきだと私は思うし、
むしろちょっとした何かがあったときに、
教員から報告さえくれれば・・・
と、正直思ってしまっている。
そんな私はダメ親ですかな?すみません。
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