前回に引き続き3回目。
今回も佐久穂町の人口ビジョンをもとに、
佐久穂町に限らず田舎の人口について考えていきたい。
特に今回は出生について。
いわゆる自然動態というものに関してだ。
まずは佐久穂町人口ビジョンのつづきから。
最後のページに社会動態についてが載っているが、
これはまた次回に回す。
さて、自然動態・・・
人が死ぬことは避けられないのでここでは言及をしないが、
子どもが誕生することに関しては、
何らかの考察はできるのではないかと思う。
が、私は、ほんとに世間がいうように、
経済的な余裕がある夫婦ならば、
こどもの数が増えるのか?という
根本的な疑念を抱く。
いや、むりだろ。
今は個別の時代。
様々な個別の価値観にお金も労力も注ぐことで、
他者から承認され、自己満足を満たす時代だといえる。
そこには子どもを育てる・・・たくさんの子どもを育てること自体に、
それほど多くの人が価値を持たないと感じる時代となってきている。
経済的な余裕があれば、
その余裕は別のことに利用されるに違いない。
経済的に余裕がないから子どもを産まないのではなく、
子どもを生むと経済的余裕がなくなってしまう・・・
つまり自分たちにかける金が減ってしまうと感じているのだ。
その感じ方は否定すべきものでもない。
だが、それが今の社会的な現象となって現れているのは確かだと思う。
もちろんこんな考え方に反対する人もいる。
でも、素朴に考えると、
子どもが多い時代は経済的に裕福だったか?
と、改めて問われると、
スッと理解できることなのではないだろうか。
話は変わるが、
江戸時代はエコ生活をしていた!
みたいなことを言う人がいるが、エコ生活しかできなかった?
ということに目を背けてはならない。
昔は自然が多かった!
みたいなことを言う人もいるが、
江戸時代の浮世絵なんか見てみると???と思う人も多いのではないか。
かように、
ものごとを否定的に捉えることで、
本質を見ないまま問題を議論するような状態では、
その改善策はまずまず見えてくるわけがない。
そして同時に、混同されがちだが、
ピンチな人を救うという政策と、
社会全体を一方方向に流すという政策は、
別にして考えなければならない。
もはや佐久穂町の人口について・・・
とくに自然動態については、行き詰まっていると言わねばならない。
これは、皮肉でも警鐘でも、ましてや諦めでもなんでもなく、
1つの事実として受け止めなければ、
それこそ次の行動を見出すことすらできないと考えている。
そしてこれが、
いつもの自分が思考を行う際の、立脚点となるものだ。
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