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公平性はどこにあるのか?

地方自治体、

特に市町村のお金の使い方についてを

改めて考える機会を持てた。

政治的な話をしてしまうと

アチコチイジコジしてしまう気がするので、

例え話としてザックリと考えてみたい。

 

家庭と地方自治体は違う!

という反論は脇に置いておいて・・・。

 

家庭というか家計というかは、

まずその構成員・・・父母長男次男三男・・・

これって我が家の構成だな・・・

その構成員の生命活動や基本的な社会活動を支えるために

お金を使う。

食事のためのお金や水道光熱費などの衣食住のお金、

学校でのお金や車の維持費など。

病気になれば病院にも行くし、

時々、家族でレクリエーションもする。

これは地方自治体も同様で、

このあたりのお金は使わざるを得ないし、

どの地方自治体も規模こそ違いがあれ、そうは変わらない。

 

今回、問題となるのは、

それ以外の構成員それぞれについて・・・

つまり、父のための、母のための、

そして長男のための、次男のための、三男のためのお金だ。

ここに地方自治体の独自性があらわれやすくなる。

父の洋服を買うお金があれば、

子ども3人の洋服を充実させようと考える家庭もあれば、

父の趣味のための家計の多くを当てる家庭もあるだろう。

人道的にどうとかこうとかではなく、

そこには価値観としてのお金の使い方の違いがあらわれる。

 

しかも選挙によって首長や地方議員が選ばれるシステムの中では、

その首長や地方議員を成立たらしめた集団が、

例えば、それが父ということであれば、

そのお金は自然、父へと傾斜配分されることになる。

誰得の為政者なのか?

というのは、

実は専制政治でも民主政治でもあまり変わらない。

 

話を戻して・・・

ゴクゴク普通でありふれた幸せな家庭でも、

いや、ゴクゴク普通のありふれた幸せな家庭であるからこそ、

お金の使い方については問題が生じてくるものだ。

それが今回、考えてみたいテーマ。

公平性のためのお金の配布と公平性のためのお金の非配布。

 

例え話をつかう。

父・母・長男・次男・三男の5人に本を買おうとする。

それぞれ申請があれば、家計から本代を出すことにする。

父は漫画を、母は料理の本を、

長男はいらないと言い、次男は問題集を、三男は絵本を買うことにした。

このとき、

公平性はどこにあるか?

というのが、今回の命題。

 

考え方の1つとして、

家族全員が本を購入しなければ公平性は保てない

というものがある。

長男がいらないと言っているのはその人の自由だ・・・というのは、

本を購入する他の4人の言い分。

 

この長男が、全員で本を買わずに、

みんなでお金を合わせて健康グッズを買おうと主張したら、

それはもちろん話し合いをするのだけど、

公平性ということでいえばそちらのほうが公平性が高いのではないか?

という・・・話。

話し合いで1つに絞ることが公平性が高いのか?

多数決の結論が公平性が高いか?

という議論もそこには存在する。

 

また別の見方をすると、

漫画と問題集を同じ基準で購入できるようにするのは、

公平性にかけるのではないか?

という考え方もできる。

まぁ、これについては価値観の相違によるといえばそうなのだが、

価値観のない人間社会などは存在し得ないわけで、

実はこれは不満の温床であると同時に、

その不満は解決を迎えることはほとんどない、

実にしまつのわるいものだといえる。

だから、そこには本を購入するにあたっての基準を設置するが、

その基準も不満を減らす目的で設置されているにもかかわらず、

不満の温床の一部になっているからたちが悪い。

 

また一方で、

家族の各構成員がそれぞれにおいて充実した生活を送ることが、

家族全体の幸せであるという考え方も存在する。

いわゆる個人の自由と幸福感を重視する考え方だ。

無尽蔵というわけにはいかないが、

それでも本ぐらいは何を買ってもいいじゃないか・・・

というものだ。

極論、たとえ家庭の父が、

可愛い女の子に気に入られようとして本を購入し、

それをプレゼントしてしまったとしても、

それは父の幸福を充足するために、

ルールの中で家計を消費しているのだから仕方がない・・・

ということになる。

あくまでも極論。

でも、家計全体を考えて、

無駄に本を購入する必要はない・・・と判断した長男にとっては、

許されざる不公平ということになるのは目に見えて明らかだ。

 

さてさて、

家計の話をしていきているようで、

実はこれは地方自治体のお金の使い方を話してきたつもり。

私がどの考え方を持つか・・・と言われれば、

その答えが用意できるのであれば命題扱いはしないわけで。

結局の所、

バランスをとりながら運営し続けるしかない!

というのが、私のいま現状の答えとせざるを得ない。

 

だが、こういった考え方の違いがそこにあることが大事。

その違いこそが、

いわゆる民主主義の根幹をなすものだと思うからだ。

 

本日、佐久平環境衛生組合議会運営委員会開催

 

 

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