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非不惑とルーティーン?

子どもたちの夏休みがいよいよ終わり、

ルーティーンのある生活が戻ってきた。

あぁ、私の母などは、

毎年毎年、こんな風に感じていたのだな・・・。

好きとか嫌いとか、いい悪いではなくて、

でも、たしかにルーティーンの安心感はそこにある。

 

スポーツ競技なども、

ルーティーンが大切だと言われている。

ゴルフのボールを打つ前や、

テニスやバレーボールのサーブの前、

挙げればきりがない。

できる限り通常のパフォーマンスを出すために、

それらが行われていると私は考えるが、

それこそ頭ではなく、

体で覚えている記憶を引っ張り出すという効果は、

案外、ばかにならない。

 

それは、スポーツ競技に関してだけいえることではない。

むしろ、自分の人生においてこそ、

その効果は大きかったのではないか

と、今では実感する。

サラリーマンをやめて、

佐久穂町議会議員と自営業という立場となった私。

そんな生活もすでに5年目も半ばを過ぎているが、

未だにしっくりした生き方ができてはいない。

今の生活は、良い意味で、時間に融通がきくものの、

活動に基本的なルーティーンが持てていないので、

バタバタ感を払拭させることができないでいる。

 

年齢的な問題なのかもしれないが、

ここ最近、物忘れがひどくなった気がする。

特に予定に関する失念が増えた・・・。

いや、気付ける機会が減った

というのが表現としては的確かもしれない。

忘れている度合いは、きっと今も昔もそれほど変わってはいない。

それを思い出せるキッカケとなる場面が、

著しく減少したのではないか?

そこにはルーティーンの有無が大きく関わっているに違いない。

 

50歳を過ぎて、変化と安定のバランスを、

それも日常生活の中という、当たり前の場面で、

改めて考え直さなければならないことになろうとは・・・。

かつて孔子は、40歳で迷わないと言ったらしいが、

いやいやとんでもない!

私は50歳にもなって、

自分の1日の1週間の1ヶ月の過ごし方でさえも、

迷い道クネクネ・・・である。

まずは、1日のルーティーンを意識的につくっていかねば!

まるでスポーツ選手が自分のルーティーンを守るように・・・。

 

本日、佐久穂町議会タブレット研修会開催

 

それは、なにも瞬間的な場面に限らない・・・という気が、

 

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