スポンサーリンク

学校行事を行う動機は?

佐久穂中学校の修学旅行の2日目は、

富士急ハイランドで楽しく遊ぶはずだったのに、

ずっと雨降りで、

有名所のジェットコースターには乗れなかったらしい。

とはいえ、

修学旅行が中止になるかもしれなかったので、

佐久穂学習倶楽部部員の9年生の子たちも、

それぞれの感情はともかく一様に楽しかったようだ。

 

さて、学校教育の守備範囲の広さには、

あらためて驚く。

運動会・音楽会・文化祭・修学旅行・キャンプ・登山。

課外部活動・・・もそうか・・・。

これらは学校が教育過程の一部として取り入れてきたものだが、

いよいよ、その範囲は、

学校のキャパシティを超えるところまできていると、

私は思っている。

それぞれの教育的意味を改めて考えて、

取捨選択をしていかなければ、

労力も資金も肥大化し、

それこそ教育的意味なんか二の次になってしまいかねない。

 

ついこの間、テレビのいち場面を見た。

北欧・・・スウェーデンだったか?の教育者が、

日本の小学校を視察するという内容だったと思う。

ちょうどその小学校はマラソン大会を行事としてやっていた。

視察した北欧の教育者が日本の小学校の校長に言う。

なぜ、運動は健康にいいものなのに、

競わせる形を取るのか?

これでは運動が嫌いな子がでてしまうではないか?

と。

小学校の校長先生は答える。

個人個人が目標を設定して、

目標を設定した自分を超えるため、自分と戦うのだ

と。

 

これについてはどちらの意見が正しいとは安易に言うまい。

ただ、なにも、自分が苦手だと思う分野で、

自分を超えるために自分と戦う必要はないのでは?

とは思う。

 

そしてその行事が子どもたちへ、

何を身につけてほしいから実施しているのか?

を、改めて問い直してもよいかも・・・

と思えるきっかけを与えてくれるテレビのいち場面だった。

 

何れにせよ、

それぞれの学校行事が何のために行われるのか?

その効果と労力を改めて検討しなければならない、

今がそういったタイミングになっていることだけは明らかだ。

 

個人を個人として尊ぶ考え方は、

とても素晴らしいとは思うが、

残念ながらシステムがそれについてきていないことを、

行政も学校側も教員も学校の保護者もしっかりと知って、

個人の感覚や経験ばかりを重視せず、

それこそPTAのような組織の中で、

意見交換などをしていかなければならないと思った。

 

明日、有志によるタブレット議会の学習会

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました