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私を表す私の中の言葉?

私の基本的な考え方の元となるものはいくつかある。

座右の銘は、

逆境こそ楽しむに値する

もちろん自作の言葉だ。

いつからこう言い出したのだろう?

大学生が終わるころには言っていた気がする。

 

対人関係に関しては、

過去と他者は変えられない!

が、基本的かつ根本的な考え方になっている。

まぁ、教育者としては由々しき考え方であるかもしれない。

 

過去の事実は変えようがない。

起こってしまったことだから・・・。

とは言っても過去に対する真実

・・・そうだなぁ・・・もっと軽い言葉でいうと解釈・・・

は、もちろん変えることができる。

でもそれは、自己から発生した新たな価値観であって、

もうそれはすでに過去ではない。

 

また、他者についても、

そもそも他者を完全に理解することはできない。

ましてや、その他者を変えることなど、

変化前が不明でありかつ変化後も不明なのであって、

そもそも理解することは不可能である。

ただ、

自分が他者を観察した結果・・・つまり私の解釈が・・・

変化しただけであって、

それは他者を変えたことには当然ならない。

そしてこの考え方は、私の中では同時に、

他者に対する尊重の念というべきものだと思っている。

 

つまり人は本質的に、

stand alone

だということだ。

だからこそ、自分を伝える手段を、

獲得し磨いていかなければならない。

 

そんな個が集まってできる集団については、

理想を言えば、

個の独立した最良な活動の結果としての最良の集団

というものを私は求めている。

そうでなければ、

個が成長しようとする動機を弱めてしまう結果になる。

と、同時に、

使う人と使われる人の二極分化が進んでしまう。

 

だからと言ったらよいか・・・教育に関しては、

動機

というものが最も重要だと考えている。

そして学習の中で人が身につけるべきものは、

汎用性。

学習方法として価値があるのは、

変化。

学習の前と後で何らかの変化がなければならぬし、

それを学習した本人が実感できることに価値がある。

 

世界の捉え方として大事にしているのは、

人は比較の中に埋没してしまう

という危機感。

そもそも人は比較でしかものを認識できないのでは?

と、未だに未確定ながらも、

中学生のころからずっと思ってきた。

だから、今でもそこに陥らないように、

私は常に警戒しながら生きている。

 

自分の性格としては、

ネガティブで懐疑的かつ経験主義的。

ものごとのありようを疑ってかかって、

経験的な知識を重要視し、

かつ、最悪の事態を想定して知恵をはたらかせる。

 

教育者を5者ということがよくあって、

学者・医者・易者・芸者・役者の要素を持つように言われる。

そういった意味では、

私は易者の傾向が強いと自己分析をしている。

ネガティブなのに未来志向というのは、

たちの悪い占い師みたいで・・・困った思考である。

 

・・・ここまで色々な私の中の私を表す言葉を書いてみた。

座右の銘でも構わないが、

私は中学生ぐらいからこんなことばかりを考えていた。

これによって、言葉が増えたし、

言葉をきっかけとした思考も増えたし深まったと思っている。

誰でもやることだが、

かっこいい言葉やその使い方を、

ドラマやアニメ、漫画、小説などから取り出して、

自分の言葉へと昇華させていく。

ぜひこれを、

中学生や高校生には積極的にやってもらいたい。

彼らが自分を自分の中で作り上げるにあたって、

ようするにアイデンティティの確立において、

自分で獲得した自分の要素として、

大いに必要となってくるはずだから。

 

明日、議会運営委員会開催

 

 

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