目的と手段が逆転してはいけない。
ということは、今まで、
教育に関わる活動の中で散々言ってきたことだ。
もちろんそれについては、
間違っているとは思っていない。
ただこれはあくまでも、
結果を出すために活動というものがある!
ということを忘れないための呪文でしかない。
昨年度の9月に佐久穂町は水害に見舞われた。
千曲川支流の抜井川・余地川近辺は、
護岸が削られたり、河川沿いの家屋の浸水などが起こった。
そんなさなかに、
抜井川上流にある古谷ダム、余地側上流にある余地ダムの
放流についてドキドキしたのは私だけではないはずだ。
ダムがあるおかげで、
被害が軽減したともいえるし、
ダムが決壊しないように豪雨の中、放流をして、
さらなる被害が出たかもしれないという想像・・・
それらは改めてダムに関して、
無関心ではいられないということを思い知らされた。
折しも昨今、
中国にある三峡ダムのことが話題になっている。
三峡ダムについてはあれこれコメントをするつもりはないが、
ダムというものを改めて見直す契機になっているように思えてならない。
かつて、脱ダム宣言で長野県の知事になった人のことも、
うっすらと思い出した。
ちなみに古谷ダムも余地ダムも、
基本は水不足に悩む佐久穂町にとって水瓶の機能を持っている。
特に農業用水において・・・。
これが主目的なのだろうと思うが、
天気予報の精度が上がってきた今、
集中豪雨の予想がついた場合は、
農業用水としての水瓶の機能を一時置いておいて、
前もってある程度放流するようなことが必要なのかもしれない。
仮にその後、多少の水不足になったとしても、
家が崩れて流されたりするよりも・・・と思わずにはいられない。
まぁ、もちろんバランス感覚は必要だし、
そのバランス感覚というものが難しいということは百も承知。
ただ、予報とバランスについてはすでに、
最先端の技術・・・ビックデータとAIによる解析
を取り入れてるに違いないとも思うので、
私などの杞憂はどこ吹く風なのかもしれない。
あるラジオで聞いた話。
ダムというのは、その建設目的が結構明確なのだそうだ。
ということはすなわち、
建設した目的に関して、
管理をしたり責任を持ったりする
組織や人やシステムが存在するということになる。
例えば、先程、古谷ダムや余地ダムを農業用水の水瓶と、
私は表現した。
もちろん今では多目的ダムとして動いているに相違ないが、
それでも、放流するという決定に対して、
水害を起こさないようにする側と、
水を枯渇させないようにする側とで、
ある程度の意見対立が生じるのは仕方がないことではある。
そもそも官僚機構というのはジャンル別だから・・・。
だが、そこを上手に多目的化し、
意思決定に融通を利かせることができるようになれば、
もう少し、そう・・・もう少しだけ、
災害や人の生活における不自由を減らせるのではないかと思う。
目的を手段にしてはいけない!
のは、当たり前だが、
そのひとつの手段に対して、
時と場合によっては柔軟に他の目的を達成するために利用する。
これは何もいけないことではない。
だって、手段がもう成立しているのだから、
成立しているものを使用しない手はない。
むしろ、目的が達成されたあとは、
積極的に他への活用を思考し実行すべきだと思う。
で、結局の所、その際には本末転倒にならないように、
全体を見通したバランス感覚が大事なんだという・・・
すごく当たり前の、
そして、
紀元前から哲学や宗教の分野で言われ続けている結論に
たどり着くことになるのだが・・・。
議会運営委員会開催まであと3日
コメント