7月17日の金曜日に、
長野県PTA連合会の第1回理事会に行ってきたわけだが、
午前中の理事会が終わって昼食の後、
その場で東信地域の郡市PTA連合会の会長があつまって、
教育に関する懇談会・意見交換会を行った。
実はこれは、長野県PTAの事業の1つである、
長野県教育委員会との懇談会というものがあるのだけれど、
それの事前調査の意味も持っている。
普通、いわゆるワークショップの形式で、
どんどん付箋に問題点や課題、現状などを書いて、
模造紙に貼っていくようにする。
そんな中で、情報交換や意見交換をおこなうわけだが、
これがまた、こんな状況だから、
模造紙に付箋を貼りながらやっていくと、
人の距離が近くなってしまうわけだ。
密を防ぐように距離をとると、
声が十分に届かなかったりすることもあるし・・・
というわけで、
黒板に板書しながら情報交換をすすめるという形をとってみた。
その結果がこれ。
で、話の中心は、やっぱり、
学びの機会とICT教育について。
話の中でなるほど・・・と思ったのは、
不登校の様子がこのコロナ禍で変化しているという印象。
そりゃそうだよね。
あんだけ、怖い恐ろしいとマスコミが言っていて、
大人が本気を出して防御策をめぐらしてるコロナウイルス。
おそらく、子どもたちにとったらオバケよりもはるかに恐怖。
そんな中、学校へいけ!って・・・。
確か、ツイッターで民生委員の子どもへの対応が話題にのぼってもいたな・・・。
いずれにせよ、
子どもたちが学校に行かない理由というのは、
明確なものがあるのか?
もしくは、
それがあったとして大人が理解できるのか?
という根本的な問題があるにせよ、
新しく検証し直さないとマズイのは明らかだと思う。
例えば学校に行きたがらない子どもがいたとして、
でも、学校に誰もきていなければ登校できるなんて事例もある。
それこそ誰が嫌だとかそういうのではなく、
まさにコロナウイルスのように、
漠然とした不安や恐怖がそこにはあるのかもしれない。
でも、大人はそこに不確定要素を置いておきたくないのか、
どうしても〇〇に違いないみたいな理解をする。
・・・ま、当然なんだけどね。
そういった基幹になる理解がなければ対応策なんざできるわけもない。
でも、あえてそれを承知で言わせてもらうと、
このリモートが叫ばれている昨今、
学校に行かなくても学ぶことはできちゃうわけだ。
新型コロナウイルス対応中の休校中に、
はやく友達と会いたい!
みんなとおしゃべりしたい!
部活をやりたい!
と、発言した児童生徒は多かったに違いない。
ところが振り返って見るに、
〇〇先生の授業を1日もはやく受けたい!
と言っていた児童生徒はどれほどいただろうか・・・。
子どもにとって学校へ行くことは、
教員の授業で1番長く時間をつかっているにもかかわらず、
行く理由というのはそこではなく、
友達とあって、楽しい時間を過ごすためだと思われる。
ということは、
それが楽しいと思わないタイプの人は、
それこそ学校へ行く理由というのは存在しないわけで・・・。
教員としても授業を全くしなくても、
子どもたちの学力がメキメキあがれば、
こんなに嬉しいことはないはずだ。
となると、学校へ行くことの価値はそれほど重要ではなく、
学校へ行かないことの問題点はそれほど大きなものではないのかもしれない。
いずれにせよ、
大人たちは決めつけている意識をゆるめて、
あるがままを受け入れるような認識を持つようにしなければならない。
不登校の話ひとつをとってみても、
学校に行きたいけど行けない・・・という不登校以外に、
普通に学校へ行くことの価値を見いだせないという子どもがいたり、
学校のような人がたくさんいるところが耐えられないという子どもがいたり、
それこそ、死んじゃうかもしれない危険な密の世界に、
飛び込むのが嫌だという子どももいるだろう。
そういったことを改めて、
保護者の立場から県教育委員会に伝えて、
一緒になってそれら新しい価値観への対応を考えなければならないだろう。
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