朝から雨がすごい。
テレビを付けると・・・とはいっても、
我が家のテレビはインターネット経由のテレビ中心で、
いつも見ているのは地上波ではないものの、
どうやら地上波も同じことを報道している様子。
前日、九州は熊本県で、
集中豪雨による球磨川の氾濫があって、
その様子がひたすら繰り返し報道されていた。
屋根近くまで水がきている集落や、
土砂崩れで家が押し流されている様子。
そんな翌日の朝、
災害が起きていると認識すべき特別警報が、
岐阜県と長野県に発令されている。
もちろん岐阜県も長野県も広い。
地域的な気象上の差も大きい。
が、それでも東日本台風、
・・・台風19号と言ったほうがリアルか・・・
で、大きな被害を受けた佐久穂町にとってみれば、
体を硬直させるに十分な状況だった。
こういった記憶というのは、
どう心に刻まれて、どう心から薄れていくのだろう。
などと、案外のんきなことを考えながら、
頭の中ではその後の対応について、
色々とシュミレーションをしている自分がいる。
これが経験によるものだとしたら、
やはりそれはまさに刻まれたものであるのだろうと思う。
本を読んだり、映像を見ただけでは、
決して刻まれるものではないものだけに、
つい経験論的立場の優位性について、
思いを馳せずにはいられない。
よく、
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
というが、
賢者が歴史を自分の経験かのように受け止められるならば、
それはまさに賢者だ!
と思う反面、
愚者は愚者と言うに値するのか?
という率直な思いも湧いてくる。
まさに刻まれたものに左右されるという意味では、
愚者というか人の性といえるのだろう。
熊本県では死者もかなり出ている。
このコロナ禍で避難所の対応も大変な状況だろう。
岐阜県でも飛騨川が氾濫している。
長野県でも、
観光地である上高地にいたる道路が土砂崩れがおこり、
長野市では台風19号のときと同じような、
河川の氾濫による被害がでている。
被害が最小で収まることを心から祈りつつ、
一刻も早い復旧がされることを望む。
広報編集調査特別委員会活動中
コメント