この時期はちょっとしたワクワク感がある。
ノーベル賞の季節になった。
もっとも興味深いのは
イグノーベル賞のほうなのだが・・・。
それでもノーベル平和賞には興味を持つに十分な受賞団体だった。
ノーベル平和賞の受賞団体。
核兵器廃絶国際キャンペーン。通称ICAN。
そもそもノーベル賞というのは多分に政治的な要素というか、
メッセージ性が強いと、常々思っていた。
特に平和賞はその傾向が強い。
それは平和賞だけに留まらないとわけだが、
とりわけその傾向が強い平和賞が、
ど真ん中の核兵器廃絶を持ってきた。
やはり、北朝鮮の情勢がそれを可能にしたような気がする。
私達が忘れてはならないのは、
核兵器が問題だという
狭義の議論に陥らないことだ。
化学兵器や核兵器を持っていれば当然
危ない!
ということになる。
それを持たないようにすること、持たせないようにすること!
というテーマは非常にわかりやすい。
わかりやすいからテーマとして取り上げられるし、
それを具体的に行動へと発展させることができる。
と・・・。
でも、本質はその武器そのものにあるのではなくて、
それを所持し使用する可能性がある状況や体制の解消にある。
人、ひとりふたりのレベルで考えてみる。
拳銃を持っていると人を傷つけてしまうかもしれないから取り締まる。
これは法の仕事。
もちろん大事だし必要なことだ。
でも、拳銃のない世界が生じたとして、
ナイフで人を傷つける人、言葉で人を傷つける人が減るのか・・・
という疑問というか命題が残されることを忘れてはいけない。
ご近所さん全員が猜疑心と攻撃性を十分なほど持ち合わせたら、
武器の種類によらず、悲劇は起こるに違いない。
法の力とはやはりその程度のものなのだ。
効果がわかりにくく、薄弱であったとしても、
そんな状況を改善していくには
広い意味での教育しかないのではないか・・・。
自分の頭程度では、それぐらいしか思いつかない。
今回のノーベル平和賞で、
日本の報道が核兵器廃絶に異常な偏りを見せ、
それが新しい憎しみを生み出すような
本末転倒な動きにならないことを
期待するばかりである。
私が欲するところは、
核兵器?・・・兵器全体いらなくね?っていうか喧嘩いらなくね?
という、
所詮、チョコレートのハチミツ漬けのような甘ったれた理想なのだ。
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