新型コロナウイルスへの対応の中、
日本の対応は甘いとの意見が出ている。
非常事態宣言といえども強制力はほとんどない。
だからもっと強権的にやるべきだという。
しかしながら、
非常事態宣言が出せる法律の制定を急いでいたころは、
果たしてそんな権力をもたせてもいいのか?
と思った人のほうが多いはずだ。
聞いた話。
ドイツでは外出規制があって、
警察が巡回をしていて、
違反すると罰金を取られるらしい。
その金額もかなりのものだという。
だからみんなおとなしく不要不急の外出は避けているとのこと。
でもね。
これを日本でやったらめちゃめっちゃ文句がでるでしょ?
たぶんだけど。
強制力っていうのはそれを是とするわけだから、
それを強制される側は、
もちろんそれを受け入れる気構えがあるってことになる。
日本は甘いと言えるのは、
その強制力を受け入れている人たちであって、
今の日本人にその強制力を受け入れる心構えが、
果たしてあるだろうか?
私は国家に限らず、
権力自体に懐疑的な性格だから、
そんな強制力は堪えられないと思う。
堪えられないから強固には望まない。
これを読んでいいる人はどちらだろうか?
緊急事態を決めるのは強制力を行使する側だということを、
念頭においた上で、
それでも強制力を望むのか?
それとも最小限しか望まぬのか?
バランスの問題でもあろうと思うが、
そのバランスを事態が発生したあとで云々するのは、
クイズ番組で答えを聞いた後に、
そうだとおもったんだよな~って言うのと同じ。
たとえば、
米の量がわからないとする。
水を多めに加えて炊いたらお粥みたいになっちゃう。
水が少なめだと芯が残る硬い御飯になっちゃう。
それを水の量を調整しながら、
何度も試行錯誤をして美味しいご飯を炊くことになる。
それでも不明なお米の量が一定で変わらないというなら、
いずれちょうどよい水の量も判明しよう。
でも、一定の間隔でお米の量が変化し続けたら・・・
それはもう試行錯誤を延々と続けるしかない。
そんな状況に対して、
これお粥じゃん!とか、これパサパサじゃん!
と、結果にだけ文句を言うことに何の意味があろう。
お米を炊いた当の本人も、
そんなの食べればわかるわい!
と、思うにちがいない。
こんな話を子どもに問う。
子どもの答えは明確だ。
そんなん自分で炊けばいいんじゃね?
自分で炊いたら我慢もするし、
美味しく感じるかもしれないじゃん。
キャンプのときはよくある話じゃん!
って。
ここに、みんなで生きていくことのあり方や、
そしてなんとなく忘れ去られているものがある気がする。
あまりにも大人はアクシデントに弱くなっているのでは?
そして、改めて思う。
私の話の絶望感や悲壮感という側面より、
子どものもつ前向きさが、
実は私達大人の心を救うかもしれないなぁって。
4月臨時議会全員協議会まであと10日
コメント