インフルエンザにかかって、
そのあとタミフルを処方されて、
あっという間に普通に戻って・・・
でも、拡散防止のために隔離されている。
っていうのが、
今までかかった数少ないインフルエンザの経験だったが、
今回はちがう。
体のだるさがふっきれないし、食欲もわかない。
ちなみに時代の流れを感じるのが、
処方された薬。
ゾフルーザ。
今までのタミフルなんかは、
インフルエンザウイルスが体内で拡散防止をする防ぐ薬だったのに対し、
ゾフルーザはウイルスが増えないようにする薬だという。
まぁ、体もへばっていたんだろう。
濃厚接触者でもなさそうな私が、
インフルエンザにこれほど簡単に感染するということは、
きっとそういうことなんだろうから、
インフルエンザが解消したところで、
体調不良が画期的に改善するわけでもないか・・・。
さて、
話は変わって・・・。
1月2日に川久保地区の獅子舞があった。
いや、正直、私にとって獅子舞というのは、
「正月に神社で見られる動物」程度の理解。
太鼓や笛と一緒に基本見るものだという認識だったから、
こちらに来て、
子どもたちが地区ごとで回るなんてびっくりした。
しかも、川久保でさえ、
内部の区によって歌われる歌がちがうらしい。
大日向地区出身の妻に聞いたところだと、
フシもセリフも全然違うという。
こんなに近い距離でさえも、
そういった行事のしきたり?は異なるわけで、
これはこれで興味深い。
さらに面白いのは、
昇り龍だから、
下から上に家々を渡り歩かなければならない
という決まり。
各家を巡るのに下がりにならないようにする配慮。
???
そもそも上下って何を基準にしているのか?
今の子達に聞けば、標高の高低だと思うかもしれない。
私も最初、そう思ったし。
どうも電車の上り下りと同じような感じらしい。
ちなみに電車の場合は首都、つまり東京に行くほうが上り。
逆が下り。
まぁ、名古屋・塩尻間のような例外もあるんだけど、
それでも起点・終点で決まっている。
さて、じゃぁ獅子舞の場合はどこが起点なのか?
やっぱり東京・・・つまり東が上ってことなのかな?
実際に移動した様子を見ればそう思えるが・・・。
こういった風習ってとっても大事にする人が多い。
私とて別に軽視しているわけではないし、
かといって絶対的な価値観とは露とも思っていない。
改めて考えるに、
こういった風習って、
人の善意の塊でできているから、
価値が高いとも思うし、
ちょっと厄介だとも思う。
風習を紡いできた人たちが、
おそらく善意をもってバージョンアップさせてきたんだろうと思う。
だから、論理的な説明はできなくとも、
悪いことではないし、
むしろ良いことなので、
より大きな善意が理由にならなければ、
変更することは困難だ。
そうなると、その膨れ上がった善意の塊は、
現実的な問題に直面するにあたって、
劣化マイナーチェンジをするくらいなら、
廃止してしまおうという思考に行き着く。
さて、
ここで難しい命題にたどりつく。
善意というものを主軸としたものを、
劣化させても継続させるのか?
それともなくしてしまうのか?
今の世の中、
こういった命題が突きつけられた局面が、
結構多いのではないかと思う。
私が今関わっているPTA活動も、
獅子舞のような地域の活動も・・・。
人の善意を劣化させることに耐えうるだけの、
そしてそれを継続させ続ける精神的な強さを、
果たして持ち合わせることができるだろうか・・・。
なんかよくわからないことを、
つらつらと書いているな・・・
・・・あぁ脳も体調不良だな・・・こりゃ。
広報編集特別委員会開催まであと7日
コメント
こんばんはm(_ _)m
私、嫁に来た身だけど、ししまいとか
子どもの行事は伝承していきたいと
思ってる人です
子どもの楽しみにしていることを
親の手間がかかるからと、なくしてしまうのは、いかがなものかと、、
今の親は忙しいといいますが、
わたしも自営業で、休みなんて、ありませんが、子どもの行事は、基本。
参加します
この、寒さの中朝早くから始まる行事のため、その他、いろいろな大会のため、
朝五時から、働き始めることも。。
大変。とは思うけど。
やめればいいのに。。とは思わない。
楽しみだし
自分も子どもの頃に、親にしてもらった、いろいろなことを懐かしく、うれしく、
誇らしいと思っていて。
そうすることが当たり前だと思っていて。
古いタイプの人間なのだろう
新しい事、
変える事。
に異様に反応してしまう。。
けど、世代の人が、やり方を変える事は
しょうがないことなのだろうと、
思っています。
ただ、自分の子どもが、いるうちは
今のままがいいなあって思っている
ほんとに、古い人間です。
ま、行事をやらなくなったからって
子どもに何もしないって、ことではないので、、
私の勝手な、、思いです
コメントありがとうございます。
率直な親の思いだと私も共感しますし、同意見です。
私としては劣化してでも、マイナーチェンジをしてでも、
その行事の善意の一部だけでも子どもたちに伝えて、
子どもたちがそれを次の世代に伝えたいと思ってくれればと・・・。
劣化やマイナーチェンジができないからと諦めてしまって、
行事そのものをやめてしまうという選択肢は、
できれば踏んでほしくないわけです。
そういった意味で、私としては、
劣化させてても縮小してでも、
伝えることをあきらめたくない・・・
そういった堪え性をもたなきゃなぁって自戒した記事でした。
また、ぜひご意見ください。
励みになります。
ありがとうございます。