前回の記事に引き続き・・・。
今度はコミュニティーの移り変わりの雑感。
前回の記事を読んでない人はぜひ読んでほしい。
さて、いわゆるコミュニティー。
辞書的には、
共同体とか地域社会とかいった意味で、
私などが思っているものと比べて、
もっと狭義な意味で使われる言葉のようだ。
じゃぁ、コミュニティーの対概念はなにかというと、
アソシエーション。
サッカーのことをアソシエーション・フットボールというが、
つまるところ、
同じ目的を果たすためにつくられた人為的組織のことだ。
なるほど、対概念から考えると、
コミュニティーは自然発生的であるとも言える。
で、???と思うことがあるわけだが、
それは後の方に譲る。
前回、世代ごとに何に価値観を持つのか?
という話を書いたが、それをもとに・・・
食に価値を持つ世代は、
貧しいという状況が共通認識で、
移動範囲も狭く、
相互で補わなければならない必要性もあって、
おそらく地域社会・・・たとえば集落に、
その補完をもとめるのは当然の帰結だ。
だから、冠婚葬祭のような大きなイベントも、
おたがいさま・・・
でお互いをフォローしていたと考えられる。
むしろ、移動範囲が狭いことと相まって、
地域社会から孤立したら、
まさに生命の危機におちいるということになる。
だから自然、
コミュニティーに最大の依存と最大の敬意を払うことになる。
次の世代は、金に価値を持つ世代。
仕事が優先される時代でもある。
だから当然ながら、
1番意識される集団というのは企業ということになる。
でもこれは、コミュニティーではない。
先の話でいくと、アソシエーションだ。
企業の中で身を粉にして働く。
多少の無理もする。
だから、利益を得るという企業の目的を維持しつつ、
それらがより効率的に達成されるための集団が形成される。
ゴルフ仲間とか麻雀仲間とか飲み仲間とか・・・。
じゃぁ、これにともない、地域社会はどうなったか?
これは多くの場合、
妻と子どもがそれを担うようになったと思われる。
だから、学校やPTAの影響力が、
コミュニティーに対して自然、強くなる。
このあたりにきて、まずコミュニティーが変化したように思う。
そうそう、じゃぁ企業戦士である男性は?というと、
企業内に自然発生した仲間の方に足を突っ込んでるので、
地域社会からは距離が遠のく傾向が出てくるに違いない。
実はもうすでにこの段階で、
地域社会という意味でのコミュニティーは崩壊しているのかも?
で、決定的になるのが、
自分に価値を見出す世代。
この世代になるとまさに個を重視する傾向が強くなる。
ネットの普及も相まって、
どこまでも自分の好む価値に傾倒する。
自分の好む価値に傾倒するということは、
基本的な生活はまぁそこそこまかなえている・・・
ということになる。
・・・中にはそのバランスが取れずに貧困へと突き進む人もいるが・・・
だから、それこそ地域社会の必要性は極度に下がる。
しかも、アソシエーション優勢な時代を、
いっかいクッションにしているせいもあって、
その必要性の低下の速度は著しく速い。
地域社会という定義でのコミュニティーの崩壊に、
最後の一打撃を与える事態となっているわけだ。
ここで再び最初の???に戻る。
今の世代の人達がつくる仲間って、
なんて呼んだらいいんだろうという疑問。
コミュニティーでもない、
アソシエーションでもない、
企業内に存在した〇〇仲間・・・が、
移動範囲の拡大とネットの普及によって拡大した集団。
なんて呼べばいいんだろう?
大学の活動のように、
サークルとでも呼ぶべきか?
もうすでに提唱している学者さんはいるのかな?
いたら、教えてほしい。
そう、ラベリングされづらい、名前をつけづらい、
そういった集団・・・めんどうだなぁ
名前をつけるというのは、
言語に頼っている限り効率的な作業だということがよく分かる。
さて、話を戻すが、
残念だが、今ことここにいたっては、
地域社会という定義でのコミュニティーを取り戻すことは、
実に難しい課題となる。
だから、新しく定義を広げて考え、再構築するしかない。
そもそも、
コミュニティーが大事なのではなくて、
そのコミュニティーの持っている機能を、
何らかの形で保全することが大事なわけで、
機能として何を守っていきたいのかを明確にしなければならない。
その上で、その機能を何に、どんな形で付与するか・・・
私はそのあたりがまだまとめられていないので、
これもまた、誰かいいまとめがあれば教えてほしい。
で、私なりの考え方なのだが、
・・・あくまでも、今現在の未完成の状態ね・・・
サークルをつなぐことによるコミュニティーの機能補完
だとイメージしている。
そうだなぁ・・・
イメージ程度だから、
突っ込まれたら心は即折れで、撃沈するだろうなぁ。
最後の方にきて、超弱気!
ちなみにインターネットが広がったおかげで、
個の時代がきているのは周知のとおりだと思う。
企業に縛られることのないあり方を選択する人も増えている気がするし、
企業に対して個が無作為に集まって、
おおきなうねりとなって、
その企業のあり方を変えてしまうことも出てきた。
でもね、そんな中でも、
やはり人というのは所属欲というものがあるのか、
ネット上でも同じ価値観を持つ者同士が集まる場が
できているように思う。
SNSのように、
無防備で万人の前に立たなくてもいいような、
めんどくさい人に対応しなくてもいいような、
そんな場が最近増えてきているように思う。
そういった意味では、
個人の時代からの揺り戻しがきているのかもしれない。
いや、新しい形と考えたほうがいいな。
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