9月議会が終了してから、
広報編集調査特別委員会の活動が始まる。
とにかく期日までに議会だよりを作成しなくてはならぬ。
これが、案外大変で、
事実とのすり合わせ、
誤字脱字などの確認、
見た目や色合いを整えたり、
必要な写真を用意したり・・・
記事を書くことはもちろんだが、
やはり1つの広報誌を作り上げるのは様々な気を使う。
記事の文体の統一性をはかるのは当然のことだが、
これが実に難しい。
なぜなら記事を書く人によって、
文体や表記方法などが様々だからだ。
そんなもの統一すればいい!
と、おっしゃるのはとても理解できる。
もっともだ。
とはいっても、
文というのは思いが強く入ってしまうもので、
それによって伝えたいことに強弱ができてしまう。
シンプルに事実だけを伝えるというのは、
誇張して伝えるよりも、
はるかに難しいことだと実感する。
わたしは報道機関が事実のみを伝えない傾向、
いわば商業的な作用や意図によって、
ある一定のベクトルをもった
情報を伝えてしまう傾向に、
非常にイライラしている。
・・・いや、イライラしていた。
今では、もしかしたら、
それは仕方がないんじゃないか?
と思うようになってきた。
さっきも言ったように、
誇張したり、意図を込めたりしたほうが、
伝えやすいのだ。
伝えやすいだけではなく、
きっと情報を受け取る側が気持ちよく受け取れる、
・・・これは実は駄目なことだと思うわけだが・・・
そういった面も否めない。
だから、伝える側は誇張したいし、
伝えられる側は誇張されているとわかりやすい。
・・・でもこれって、
情報としての精度ってどうなんだろう?
と思うわけだ。
というか、
それは情報としてあるべき姿なのだろうか?
・・・
と、
イカンイカン。
他者についてはおいておいて。
自分についてはどうなんだ?と。
自分の関わっている議会だよりはどうなんだ?と。
改めて自問自答しながら、
なんとかかんとか議会だよりづくりを進めている今日このごろ。
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