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切羽詰まった君の行動に敬意を表す!

7月1日の月曜日が佐久穂中学校の1学期期末テストなので、

その直前の6月29日の土曜日に、

午前中は佐久穂学習倶楽部のテスト対策を含む授業を、

午後は茂来館のホワイエやロビーなどで質問対応をした。

 

佐久穂学習倶楽部に入部している中学校の生徒は、

中3にあたる9年生が1人、

中2にあたる8年生が3人。

だから当然、その4人は午後、茂来館でテスト勉強である。

が、それ以外にもたくさんの中学生が・・・

そうだなぁ・・・15人ぐらいの中学生がきていた。

 

個人のことだから私がトヤカク言うことではないが・・・

中学生ともなるとやはり色々と楽しいことがあるようで、

4人の佐久穂学習倶楽部の面々は私の目があるから、

それでもそんなことはないが、

他の中学生は友達どうしで楽しそうにしていた。

ほんとに楽しそうに走り回ったりしていた。

で、席に座ったかと思うと、

スマートフォンやタブレットをだして

ゲームをしていた。

1人2人?いやいや・・・少なくない数だった。

 

なぜ注意しないのかって?

いや、学習しにきているという確証もないし、

それこそそこの空間は自由だからね。

でも、そんな中でちょっと嬉しいできごともあった。

佐久穂学習倶楽部の部員生徒ではない中学生が、

理科の化学分野の問題の質問をしてきたのだ。

 

私としては、

その時間は佐久穂学習倶楽部の通常部として活動しているので、

まったくのボランティアの学習指導のつもりだから、

その点に関しては全然かまわないどころか嬉しい限りだ。

 

もっとも、説教がましく、

無料学習指導をしてます

みたいな宣伝はするつもりはない。

おせっかいだし・・・

でも、切羽詰まった生徒ならば、

質問をするという選択肢をとるだろう。

そして、私はそんな選択をする生徒を大事にしたい。

 

私は、無料・無償という考え方に懐疑的だ。

それは与える側の美徳ではあるが、

受け取る側の傲慢を生むことがよくあるからだ。

どうしても必要に迫られている人ならば、

きっと無料・無償に大感謝だろう。

しかし、必要に迫られていない人たちの場合は、

そこに感謝の念が発生するより、

傲慢になることによる不平不満の念が発生することがママある。

それがわかっているというか、よく感じるから、

無料・無償の通常部を無理強いしないわけだ。

 

そんなことを思いつつ、

7月1日は佐久穂中学校の1学期期末テスト。

9年生にとっては1学期最後で、

総合テスト・・・つまり高校入試風テストになる前の最後のテスト。

点数が比較的確保できる最後のテスト。

通知表のような内申点を上げるためのほぼ最後のテスト・・・。

 

誤解を恐れず言うが、

テスト当日に頑張ると言っている人は残念な人だ。

だって、テスト当日、頑張んない人が逆にレアじゃないか?

残念じゃない人は、

テストの前にどれだけ頑張ったか?

というところに着目しているはずだ。

もっというと、

日頃、無料・無償で学習支援をしてもらえている

中学校の授業そのものを、

どうやって頑張っていくかに焦点を当てているはずだ。

 

ところが・・・だ。

それ、無料・無償だから、

自分の授業の受け方はさておいて、

授業のわかりやすさや楽しさに注文をつけている人が、

けっこういるんじゃないのかな?

 

こんな話をするとすぐ反論するひとがいる。

それはいちいち最もだとは思う。

でも私にとってシンプルなことは、

学校の教員は、

わかりやすく、できれば楽しいと思える授業を、

提供すべく努力します・・・と、

当の本人たちが言うべき言葉で、

生徒は、

その授業からできる限り得られることを得たい

・・・と、

当の本人たちが思い、言い、実行するということだ。

これが、逆になるから、

先生が、生徒の質がさがった、とか

生徒が、先生の教え方がわるい、とか

言うので、対立構造が生まれてしまう。

先生も生徒も、両方とも、

学力向上を願っているのに対立するなんて・・・。

そしてこんな構造を生み出してしまいやすいのが、

まさに無料・無償というものだと思うわけだ。

 

なんだか、ブツブツいってしまったが、

結論をひとつだけ言うと、

切羽詰まって私に質問をしてきた少年!

君はすばらしいぞ!

きっと君なら学力が地道に上昇していくぞ!

ということかな。

 

本日、青少年育成協議会街頭啓発指導実施

 

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