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タイのボートくんと言語の価値?

土曜日から日曜日にかけて、

タイ国籍の19歳の男の子が、

我が家でホームステイをしていった。

 

妻がヒッポファミリークラブに所属していることもあって、

こういった話は以前からちょくちょくお願いされていた。

しかしながら、子どもがまだ小さいことや、

両親とも共働きすぎたこと、

家の床に荷物が多いこと、

部屋が整理整頓されていないこと・・・

だから

寝る部屋が用意できないことなどなどのため、

その機会を今まではお断りしてきた。

まぁ、3愚息とも小学生になったし、

私が定時な仕事を退職したこともあって、

なんとなく、

部屋がなんとかなればいいんじゃないの?

みたいに我が家の雰囲気がなってきたのかもしれない。

 

彼の名前は・・・正直しらない。

愛称はボート君。

いや、これについてはちょっとした前知識があった。

数年前にタイの方から、

タイでは名前をあまり言わないんです。

って言われたことがある。

なんでも、名前が素性を示してしまうため、

ニックネームを通常使うんだそうだ。

ボート君にも名前を聞いてみたが、

名前、とっても長いです。

と言われた。

トッテモナガイという名前だったら驚きだが、

まぁ本名を無理に聞く必要もないかなぁって思った。

 

日本語を習得するために日本にきているということもあって、

とっても積極的に日本語をつかっていた。

おねがいします

ありがとうございました

などは常時、うちの3愚息とタイミングを合わせて、

大きな声をだしていたし、

夕食の焼き肉をしているときも、

材料についてタイ語と日本語を交換し合ったりした。

しまいには、

日本語の「コゲ」という言葉まで覚えていった。

というか、むしろこういった言葉のほうが新鮮なのかもしれない。

 

面白かったのは、

彼が飢えたように辛いものを求めていたことだ。

これはタイ人の一般的性質なのか、

彼のみの嗜好なのかはちょっとわからないが、

ひさびさにスーパーで辛いものを買った。

とはいっても、

懐かしのお菓子、カラムーチョと、

一時期めっちゃ流行った食べるラー油。

でもまぁ、

少しはその飢えを満たすことができたみたいでよかった。

 

もうひとつ面白かった話が、

彼の日本語に対する感想の話。

実は、彼は、

タイの大学でも日本語学科に所属している。

そこには3人の日本語の先生がいるらしい。

1人はタイ人、あと2人は日本人だそうだ。

ところがこの日本人の先生、

出身が関東と関西らしい。

つまり、日常会話として使われる日本語が、

特にイントネーションについて2種類あるということだ。

これは、きつい。

習う側からすれば、アレンジは極力無いほうがシンプルでよい。

ただ、現実的な問題として、

同じ言語においても多様性は、

あって然るべきなのは当たり前。

実際に使うとなれば、

多様性の中でリアルに使用することになるからだ。

 

・・・で、

ふと思う。

日本で学習する英語って・・・どうなんだろう?

正しさという価値を追求するあまり、

言語としての価値や意味の

根本的な部分を見失ってやしないだろうか?

ボート君のイントネーションに関する混乱も、

日本人にとってみれば、

どっちでもいいんじゃね?

程度のことであっても、

日本人の英語教育に話しを置き換えると、

最初が大文字じゃないといけないとか、

ただしい疑問文の書き方とか・・・

評価をしなければならないがために、

手段が目的化しているのではないだろうか?

 

私は英語がまったく言語として身についていない。

そんな私でもカナダにいく機会があって、

カナダ人と食事に行くことがあった。

そのとき、

とっても塩辛い手羽先?が料理で出てきた。

みんなは英語で辛いだのしょっぱいだの言っていたが、

私は片言の英語で、

これはSalt with chicken(チキン味の塩)だね。

って言った。

何気なくいった言葉だが、

カナダの方にはウケたらしく、

やいのやいの繰り返しその言葉を使っていた。

 

このとき以来、ずっと思っている。

言語には、

正しい間違っているという価値よりも、

別の何か大事な価値があるんだろうなぁって。

で、その別の価値には、

面白さとか、必要性とか、印象深いとか・・・

その言語を使うという動機になりうるものも、

溶けているんだろうなぁって。

 

明日、6月定例会一般質問1日目

 

 

 

 

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