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流されない、流さない?

最近、3愚息によくしている話がある。

それは、情報の指向性について。

得られた情報のあやふやさを常に意識することだ。

 

たまたま、

東京大学入学式で上野千鶴子氏が述べた祝辞の記事を見た。

題名は

「がんばっても報われない社会が待っている」

というものだった。

だたし、この記事には「全文」という但し書きがついていて、

よんでみると、記事の中に全文が掲載されている。

以前はこういうのが少なかったが、

最近、増えてきているような印象がある。

 

これはとてもいい傾向だ。

全文が掲載されていなければ、

若者の夢を潰すようなことをするな

と、思いつきで軽々に、

反発する人が増えたに違いない。

しかもそういった反発する人たちは、

反発することに意義を見出している人が多い。

むしろ、日頃から学生に接していて、

つねに若者に夢を与え続けているような賢者が、

続出してくれれば・・・なんて思う。

 

新聞やテレビによる報道だって同様だ。

常に、切り抜きの情報を提供する。

切り抜き方によってそこに指向性が生まれる。

いや、指向性をともなって切り抜いていることがほとんどであろうし、

むしろ指向性のために、情報を曲げたりでっち上げたりすることもある。

私の記憶に鮮明に残っているのは、

サンゴの傷・松本サリン・福島原発関係などなど。

 

新聞やテレビだけではない。

私は選挙によって町議会議員に選ばれたわけだが、

この選挙に関わることなどは、

ウワサ風評被害製造工場と言わねばならぬ。

特に金をばらまくような選挙がなくなってきている今、

金による攻撃力がなくなったため、

相手を引きずり下ろすといった攻撃方法が主流になってきたように思う。

だから、なおさらデマや悪評を流すことが日常になってきている。

 

何かわかりやすいニュースが出るたびに、

3愚息にこういった話をする。

情報にはベクトルが含まれるのは致し方ないとしても、

それを受け取る側の能力が

より求められる世界になってきている。

 

この子たちが、

報道や情報発信者のベクトルに押し流されることが減らせるように、

そして同時に、この子たちが、

他者を誘導・先導することで利益を得ようとすることに、

嫌悪感を持てるような価値観をもてるように、

私や妻が率先して、

その態度を常々、示さなければならぬのだ。

 

4月全員協議会まであと8日

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