中華人民共和国は大きくなった。
アメリカ合衆国はそれを許すとは思えない。
EUはまとまりを欠き、
西アジア・中央アジアはそれらの中で立ち位置を探る。
核の脅威は依然ながら、
情報という武器は純粋な情報のみならず、
社会のシステムをコントロールする力をもち、
個人が社会の中に埋もれていってしまう。
最近の世界のありように、
とてもじゃないけど自分の子どもたちに自慢できない、
そんな世界のありように、
大きな苦しみを感じつつ、
でも小さな力では何も変えられない絶望感。
世界のありよう・・・
それは日本といえども例外ではないと思うようになってきた。
そんな中・・・
2・26事件のこと。
日米開戦のこと。
戦後の日本赤軍などのテロのこと。
偶然にも、改めて学びなおす機会を得た。
いや、これは偶然なのか?
それとも自分が選んでいることなのか?
日本にも軍部クーデターがあったこと。
それを政局として利用する人々がいたこと。
日本は国民を挙げて戦争を選択したこと。
それを何か誰かのせいにしてしまっていること。
日本人が日本でも世界でもテロを起こしていたこと。
そんなことがあったことも忘れてしまって今を生きていること。
・・・
偶然とは思えないタイミングだと、
我ながら不思議に思う。
何を言っているのかわからない。
自分でも。
ただただ、
私は1人の日本人として世界を構成するものとして、
自分の目で見て、頭で考えて、体で行動したと切に願う。
そして、そういった思いが、
私の子どもをはじめとする、
次世代に広がっていって、
今、自分が何をすべきなのかを、
感じ取れるようになってくれると、
きっと歳をとって、
死ぬ間際にうれし涙のひとつでも流せるのではないか?
と思う。
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