8月23・24日に新潟で行われた、
日本PTA全国大会。
ここ数日この話を続けている。
日本PTAの全国大会を開くということは、
例えば今回、新潟大会なわけだが、
この日、新潟県のPTA・・・つまり教員や保護者は、
同じデザインのTシャツをきて、
・・・あれはボランティアなのだろうか?
会場案内や駐車場整備なのどの仕事をしていた。
詳しく話を聞ければよかったのだが、
とにかくPTAで一番イヤな言葉・・・
そう!動員!
それを地で行く様子だった。
ボランティアと動員は、
相反するものだと私は思っている。
これがPTA活動の根幹の問題だとも思っている。
逆に、何もしないで利益をうけとり、
あまつさえそれが当たり前のことのように、
あつかってしまうことなど、もっての外。
日本にはボランティアが善意によってではなく、
システム・・・そうシステムによって、
成り立っていることが問題を複雑にしている気がする。
さて、その日本PTA全国大会。
まず、全国からPTAの構成員が参加して、
お金のかかる大規模な研修や
別地域のPTAとの交流を深めたりする機会は、
もちろん必要を感じるし、
それが行われる地域に、
一定の経済効果をもたらすことも理解できる。
だから、やらなくてもいいとは思っていない。
ただ、こういったいわゆる全国大会。
なんだか付加価値にばかり気が行ってしまっていて、
本質的なところがおざなりになってやしないか?
って思うことが多々ある。
今回参加した上での個人的感想を以下に・・・。
式典的要素が多すぎる。
ウエルカムパフォーマンス、
チアリーディングだったり、書道だったり・・・
は、よい。
頑張っている子ども達の活動を支援することにもなる。
ただ、それは大会の本質ではない。
そのあと会長の言葉やら実行委員長の言葉、
来賓の祝辞・・・
これは式典としての必要ごと。
次回の兵庫県大会のPRと会旗?の受け渡し。
で、最後に大会宣言。
もちろん記念講演はある。
だが、この中で、全国から集まったPTAに対し、
日本PTA連合会が、
今後〇〇を重点的に活動していきます!
といったような、
今後の展望や今年1年の重点項目など、
いわゆるPTAの親玉として、
どのようにやっていくのか?
という具体的な話は、
私の記憶する限りでは聞けなかった。
大会宣言も広く浅く美しい言葉が並んでいる・・・。
初日の各分科会でのまとめがなかったことも、
大会全体を見たら、私には不満である。
わざわざ分散して分科会を実施するのに、
それが共有化されない全体会など、
もったいない限りだ。
なんだか、
PTAの構成員個人が頑張れよ!って言われいる感じ。
日本PTAの全国大会実施にともなう、
会計についても後日公表されるのかもしれないが、
そのあたりがよく見えない・・・
あくまでも私が見えないのかもしれないが・・・
そういったことも、スッキリした気がしない。
もしかしたら、私自身が多くの保護者と同様に、
見ていないだけなのかもしれない。
これは反省すべきことだ。
だって会費を払っているわけだから、
よき公民、よき会員として、
そのあたりに注意を払う義務がある。
ともあれ、
私が期待しているのは、
せっかくの全国大会なんだから、
ここから1年間とか、2年間とか、5年間とか・・・
こういったことを重点項目として、
これらのことを具体的に実践していく!
と、そこまでに至る会議などの過程の公表と、
決意表明をしてほしいわけだ。
もちろん、それについては、
各分科会で議題にしていることも絡めて、
語ってほしい。
記念講演自体は面白いし、
とっても満足感が出やすいものだけど、
何を記念しているのか?
と純粋に考えたときに、やっぱり違和感を感じる。
記念するよりも先に、全国大会の本質を満たすべきでは?
PTAがアメリカで母親の会からはじまり、
それが全国的な組織になって、
それを切り盛りする都合上、
巨大な組織と細部にいたる支部が必要になり、
今の形になってきたのは十分理解できるし、
その存在価値に異を唱えるつもりもない。
逆に、今の日本の社会構造の中では、
なければ困るとまで思っている。
だが、本質は骨太であってほしいと思うし、
その本質に対応する変化を常に模索していくべきだと思う。
そのあたりが、
いちPTAの構成員として、
日本PTA連合会に望むことだ。
先に、
日本はボランティアをシステム化している
と言ったが、
これはかつては社会的に有効であったかことかもしれない。
みんなが順繰りに役をにないながら、
地域貢献をしていくことで、
地域の運営をスムーズにしていく。
誰も逃げられないし、
自動的に構成員であることを自覚せざるを得ない、
そういったシステム。
しかし、そのよくない面が
徐々に顕在化してきている気がする。
一番問題になってきていると思うのは、
1年ごともしくは長くて2年の任期なので、
いわゆる昨年同様!
という運営傾向になること。
これは運営そのものを形骸化させ、
思考と試行を停止させてしまう効果が大きい。
じつはこれは地域、大きい範囲では町村にもいえることで、
変化が激しい時代だ!
と、いいながらも変化をしづらいシステム下にあって、
やはり流れに取り残されてしまう。
そういった問題は、
多くの日本の、
ふるきよき団体が抱えているのではないだろうか?
システムを壊すことは実に勇気のいることだ。
でも、もう有無もいえない状態になってきているのでは?
と時々不安になってしまう今日このごろ。
9月定例会開会まであと7日
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