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七七日法要と納骨!

やっと一段落した心地。

1月28日の日曜日、名古屋に家族で帰省して・・・

しょっちゅう戻ってますけど・・・

父の七七日法要と納骨を済ませてきた。

 

七七日・・・次男は小学校2年生なので学習済み、

掛け算で四十九日。

7日毎にエンマ大王による審査があって、

次の行き場所が決まるのが7セット目・・・つまり49日目。

 

自宅で読経してもらって、それからお墓まで行き、納骨。

興味深かったのは、

納骨の際に、ほら、骨を入れるところがあるんだけど・・・

そこを開けているときは、

手を合わせたり、オジキをしたりしないように・・・

と、注意を受けたこと。

いやいや、普通の人なら納骨する瞬間こそ、手を合わせちゃうんじゃないかな?

そこでまた、悪いクセがでた。

そのお坊さんに「どうしてなんですか?」と、

自分の父の納骨の最中に聞いてしまった。

 

なんでも、開けている最中は、

ほら、霊界とつながっているじゃん・・・だからタタリとかね・・・

っていう話かと思ったら、

全然違っていた。

お墓とというもの自体が完全な状態ではないからだそうだ。

不完全なものを拝んでくれるな!ということのようだ。

諸説あるだろうし、たまたま聞いただけだけどね。

 

いずれにしても、

色々な、しきたりやルールがあるが、

でもそれって、

万人に共通するものって実はそれほど多くない。

当たり前だと思っていても、

それは多くの場合、狭い範囲のお話であることがおおい。

四九日や納骨といっても、

宗教によっても違うし、地域によっても違う。

もちろん宗派ですらそのしきたりは異なることもある。

 

以前、住んでいた名古屋市の隣の市は、

お盆になると、

僧侶が代わる代わる家にやってきて、読経していく

という風習があったそうだ。

だから、仏壇のところにお金を置いておいて、

きた僧侶からお経を読んで、お布施を勝手に持っていく。

いわば、無人の野菜販売所の全く逆。

あまりにも無防備というか防犯に意識がないというか・・・だけど。

次男の初盆のときはそうだったと母が言っていた。

・・・次男は私が小学校1年生のときに年長さんで、

大学生の女性の車にはねられて死亡している・・・

 

かわった風習があるもんだ・・・なんて考えていたら、

ふと、初盆(はつぼん)という言葉がなぜか懐かしかった。

いや、なぜって言うまでもない。

佐久穂町はおそらく「あらぼん」と言っているのではないだろうか。

新盆とかいてあらぼん・・・にいぼんという地域もあるだろう。

ようするに風習というものは、きっとそれなりの理由はあるのだろうが、

普遍性は非常に低いと思わざるをえないものが多いということだ。

コレは実に興味深い。

おそらく、風習をつくる理由自体のバリエーションは、

きっとそれほど多くないに違いない。

ただ、その理由を受ける側の解釈がきっと大きく異るのだろう。

そういった意味では、風習とうものの奥に潜んでいる、

少しだけ普遍的な理由をぜひ知りたいものだ。

地域の歴史とその地域の人の思いが知れるだろうから

 

さて、そんなわけで、

一段落・・・。

と、思ったら、

名古屋にスマホの1つを忘れてきてしまったよ・・・。

トホホ。

 

人権フェスティバルまであと6日

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