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素振りに素振り?

はじめてのことを学ぶときは、

当然ながら基礎から学習する。

基礎的な内容というのは繰り返し実行することで身に付く。

まるで体が反応するかのように・・・。

 

確かに致し方ないことではあるが、

それらをどうやって実用レベルまで昇華させるか、

それが、実は現代の教育が密かに抱える問題点なのだと思う。

 

小学校や中学校で新しいことを学ぶ。

新しい学習内容だから、基礎的なことを理解するという事に主眼が置かれる。

でも、それを習得するための訓練の時間もないので、

ドリルなどの形で宿題が出される。

それらはあくまでも基礎を習得するための練習にほかならない。

 

野球のバッティングを例にとってみると、

学校でバッティングの概念を学び、

その後、素振りの練習を行う。

帰宅後も宿題という扱いで素振りを行う・・・。

果たして実際のボールを打つような実践練習は何処でおこなわれるのか?

 

気がつけば最近では小学校のテストでさえ、

考える力が問われる問題が出題されている。

正直、大人でもちょっと困っちゃうような問題もある。

小学校としてはその問題ができる・できないについては、

本人の興味と自主的な学習の深化が、

個人のレベルであるか、ないか・・

ということになっている。

正直、これは仕方がない。

学校にそれを望むことは、現状ではむずかしいし、

さすがにちょっと図々しい気がする。

 

こんな状態で日本の教育は大丈夫なのだろうか?

ところがそれは、それほど心配には及ばないのが現実だ。

なぜなら、その役割を担う教育機関があるからだ。

人口が多いところ・・・東京やら大阪・・・

長野県だって長野市や松本市・・・

そいうったところは、実践演習を行う教育機関がちゃんと用意されている。

ようするに学習塾だ。

学習塾という存在は、中学校入試や高校入試・大学入試などの

実践に則した対応力育成を目標にしているところが多い。

動機づけがそういったものになるのが現実的だからだ。

そしてその動機づけによって、

学習内容の基礎と実践の間を埋める役割を果たしている。

 

ここでまたひとつ問題が生じる。

人口分布による教育格差の問題だ。

これが実は、気きされないわりには重大問題だと私は思っている。

それこそ戦国大名の話をするときに、

「生まれた場所がもっと都に近ければ・・・」

なんて台詞をよく聞くのと同様だ。

 

これを何とかしたい。

マクロな視点ではなかなかできないかもしれないが、

自分の回りぐらい、

佐久穂小中学校の子どもたちぐらいは、

その格差ができるだけないようにしてあげたいと思う。

 

最後に・・・

こういった話をすると、

多くの勘違いされる方がいるようなので、あえて書き添えると、

現状の教育システムについての是非について話をしているわけではない。

現状の中で何ができるかという観点で話をしているに過ぎない。

私としては、

日本の教育に関しての、

「こうであったらいいのに」という思いは当然ある。

しかしそれは、決して私が今やろうとしていることとは同一ではない。

あくまでも今、私がやろうとしていることは、

現状における対処療法でしかない。

それでも、やらないよりはマシだと自分では自負している。

 

1月4・5・6日と佐久穂中学校の9年生3名が、

自分の進学先をしっかりと見据えて1日6時間以上の学習を、

佐久穂学習倶楽部の冬期講習として行っている。

そういった、佐久穂町の子どもの思いを、

環境によって潰してしまいたくない!

そこが私の政治屋さんとしての原点かもしれない。

 

広報編集調査委員会まであと10日

 

 

 

 

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