朝6:45に八千穂福祉センターに集合して、
秋の交通安全人波作戦!
に、参加してきた。
八千穂庁舎の前の国道沿いにのぼりを持って立ち、
交通安全をうったえる。
実は、私の弟、本来なら3人兄弟の真ん中が
私が小学校1年生の時に、交通事故で死亡した。
見通しの良い・・・つまり車がスピードを出しやすい道で、
向こう側の友達のところへ行こうと思ったらしく、
飛び出してひかれた。
ひいたのは、女子大学生。
ほぼ即死だったようだ。
その女子大学生は、何回か家にお経を上げにきた。
キツネ顔だということだけ、覚えている。
家族は暗くなった。
特に母が普通じゃなかったのを覚えている。
どうやっても、頭で理解して納得できる状況ではない。
こういった悲劇。
人にはなかなかイメージしづらいらしい。
そもそも、なぜだか、ポジティブに行こうという風潮がいつの世でも見られる。
それは、一部の深いネガティブな思考に対しての解決策として語られているのであろうが、
個人的には、好みではない。
私は、ふざけて、Mr.ネガティブと呼ばれていたこともある。
でも、私にとっては褒め言葉だと感じる。
だって、知恵の元はネガティブだと思っているから・・・。
否定的な、良くないことをイメージするから知恵が生じると思っている。
そういう意味では知恵を生じさせる気のない、
つまり、諦めてしまっている状況というのは、
個人的にはネガティブと言ってほしくないという思いがある。
逆に聞きたい。
ポジティブからは無謀が生まれるのではないか。
いや、知恵というのはポジティブだろうとネガティブだろうと、
人の思いや願いから生じるものなんだろう。
そもそも、ポジティブ・ネガティブは、ものの有り様の受け止め方にすぎない。
だから、ポジティブかネガティブかということの価値を云々すること自体、
意味はあまりないのかもしれない。
ようは、考えて動いてまた考えて動く・・・ことだ!
車を運転していて、いつも自分を可笑しがるシーンがある。
このまま動かしたら、ぶつけるかなぁ?どうかなぁ?
ってとき、
何故か「えぃ!いける!」と思って決断して行動することがある。
・・・。
いや、悩むなら、一回切り返せばいいのに・・・。
と、自分を可笑しがる。
もう、いけるか?いけないか?の判断が必要なら、
車の運転の場合、いかなきゃいいのに!
って、わかっているのに、そういう思考をしてしまう自分がいる。
いかなきゃいい!
車の運転、広い意味での交通安全のためには、これがいい!
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