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46歳誕生日?

8月16日に46歳の誕生日を迎えた。

毎年、お盆あたりで、恒例行事になっている高山旅行で

14日に親友やその両親、友人にお祝いしてもらった。

15日には、妻の兄弟の2家族にお祝いしてもらった。

16日には、妻の父母に妻の実家でお祝いしてもらった。

本当に果報者だと思う。

 

誕生日といえば、以前は実に切ないものだった。

今でこそあまり放送されなくなったが、

大学時代あたりは、必ずといっていいほど8月15日に放送があった。

そう。

火垂るの墓・・・。

大体前日に人が集まってきだして、16日になりたての0時を目指して、

自宅で飲み会が始まる。

当時は、スマホなんかないし、ユーチューブもないから、

テレビをみる。

火垂るの墓が放送される・・・

大体0時前にせつない雰囲気になって解散・・・。

そんな誕生日。

 

本当かどうか、事実はわからないが、

原爆投下時の広島で、

空襲警報の放送を担当していた女性が亡くなった。

その方の残したもの。

広島にB29が2機侵入したという情報が、

原爆が投下される6分前に知らされていたということ。

つまり6分前に空襲警報が出されていれば、

もっと多くの人の命が救えたのではないか・・・。

 

それはそうかもしれない。

でも、それは枝葉のことだと思う。

もちろん、人の命について軽いなどとは思ってはいない。

でも、本質的に問題があるのは、

戦争という人の命を奪うことを正当化する行為そのものである。

人は命よりも大事なものがあると言って、

その大事なもののためと称して、戦争という行為を選択することがある。

 

なんだ!

人の命より大事なものって!

 

私は多分にそんなものがあることを知らない。

知っているのは、

「人の命より大事なものが世の中に存在する」と人々を騙す人がいて、

その騙す人は、

真っ先に命を捧げることをしないということ。

そして、自分の側じゃない人の命を軽んじ、

自分の側であっても、多く存在する不特定多数の民の命を軽んじることで、

それを成り立たせているということ。

 

切ない思いに押しつぶされて、

身内の死を受け入ざるを得なくて、

命を投げ売るかのような行動を強要されるのは、

いつもいつも、

権限を持たない側の人々。

権限や権威を持つ人々が、率先して命を捧げた事例が

近代戦争の中にあったであろうか?

 

泣いて馬謖を切る・・・という言葉がある。

切られた馬謖はたまったものではない。

泣くだけで済むなら、誰もがそっちの立場を選ぶよ・・・孔明さん。

 

46歳の誕生日を迎え、

私はどこに立って生きるのかを改めて考える。

8月15日の次の日が、自分の誕生日であることに、

改めて意味を感じた。

 

9月定例会まで後19日

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