形式は大事か?
大事でしょ。
モンテネグロという国を知っているだろうか?
私達の世代は非常に辛い。
ユーゴスラビアと呼ばれた国がかつてあった。
それが現在では、一般的にではあるが
スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、
セルビア、コソボ、モンテネグロ、マケドニアに分かれている。
その中の1つ。
モンテネグロ・・・。
話は昔にさかのぼる。
1904年、日本は帝政ロシアと戦争状態になる。
これが日露戦争。
日露戦争自体の話は今回の主題ではないから割愛。
この日露戦争の時、ロシアの支配下にあったある国が日本に宣戦を布告した。
それが、モンテネグロ公国。
で、御存知の通り、
日露戦争はポーツマス条約の締結で終わりを迎えるわけだが、
この時、モンテネグロ公国はその会場に呼ばれなかった・・・
つまり、宣戦布告状態を続けることになる。
1918年にモンテネグロ公国は消滅する。
それから時を経て、2006年。
モンテネグロは紆余曲折を経て、独立を成し遂げる。
それを日本が国家として承認。
・・・とその時、
日露戦争の講話がなされていないということが
ちょっとした話題となった。
どうやら日本政府としては
「いやぁ、そんな話(宣戦布告)は知らんなぁあ・・・」と
いうことで、それには触れなかったようだ。
さて、この話。
ちゃんと休戦協定を結びなさい、けじめだから。
という人もいるだろうし、
いや、あのときのモンテネグロ公国ではないわけだから・・・
という人もいるだろうし、
色々な考え方があって当然。
でも、不思議だよね。
休戦協定を結ぶべきと思う人も、
戦争終了の手続きをとらねばならないという
形式を経るべきだと思っているし、
そんなのは今の時代、今の国家には無用だと思う人も、
事実は認識していないわけだから、そういった対応は無用だという
形式をとるべきだと思っている。
主張は、全く別物であったとしても、
形式を重んじるという感覚は同じなんだね。
今の時代、特に日本ならば
教育だって政治だって、きっと同じだと思う。
もともとの大きな願いというものは、そう差があるものではない。
もし違いがあるとすれば、
その手法や経過が異なるに過ぎないのではないだろうか・・・。
9月定例会まであと29日
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