スポンサーリンク

たて?ろくろう

三男のおたふく。

明日、治癒証明書をもらって登園開始予定。

おたふくは罪な病だ。

本人、だるそうで、しかも唾液が出るときに痛いこともあったりするが、

なぜだか・・・いや、理由はわかっているが・・・

そのはれたほっぺを含め、バランスがいつもと違う顔を間近に見ると、

つい笑いがこみ上げてきてしまう。

まぁ、それでも笑えるぐらいな病状であることが救いでもある。

 

三男はひまでひまでしょうがない。

私はというと、三男と・・・しかも出席停止の三男と、

時間をともにするために制約が厳しくなる。

 

というわけで、これを機会に、

佐久穂町のちょっとレアな名所に行ってみようと思い、行ってきた。

 

楯六郎親忠居館址。

私の住んでいる川久保地区の館(たて)にそれはある。

昭和56年に石柱を立てたらしい。

流石に病み上がりの変な表情!・・・と髪型・・・。

 

楯六郎親忠。

義仲四天王の一人に数えられる。

まず義仲。

平安時代末期、太政大臣平清盛が死んだあと、源平の争乱となるわけだが、

その際、源氏として都である京都に一番最初に入ったのが源義仲。

木曽義仲とも言われるし、県下「信濃の国」では旭将軍。

で、その勇猛果敢な武将のうち、

今井兼平、樋口兼光、根井行親、楯親忠を義仲四天王というわけだ。

ちなみに楯親忠は根井行親の六男だそうで、だからか、通称六郎。

 

この楯六郎親忠は佐久穂の館(たて)に本拠地をおいていた。

たぶん、このあたりで牧場(まきば)・・・もちろん馬の・・・を

営んでいたのだろうと想像できる。

 

実際に行ってみて、思う。

確かに四方を山に囲まれて自然の要害にもなるし、

抜井川のために適度に開けてもいる。

牧場としても、ちょうどいい閉鎖感なのかなぁって思う。

さらに、昔は身分の高い人は

川辺や海辺から離れたちょっと高台に居を構えていたという。

そりゃ、増水による被害を受けないところが一等地だったのはわかる話。

今でこそ、川辺のほうが平地があって住みよいだろうが、

それは治水事業がなされている、今の常識。

 

ちなみに本家の根井氏も正直よくわかっていないが、

おそらく、望月氏か、その元になる滋野氏の出だろうと言われている。

名族ではあるが、六男だから、

このちょっと狭い地の経営をまかされたのかなぁとも思う。

ようするにそれほど大きな勢力ではなかったのじゃないか?

確かに小規模な勢力で、特に牧場を経営するには適度と思える場所だと思う。

だから、ちょっと腑に落ちないことがある。

なぜ、楯六郎親忠が・・・

それほどの勢力、つまり動員兵力を持ちあわせていないだろうと思われる親忠が、

四天王に入っているのかってこと。

興味深いところだ。

 

ちなみに私は、佐久穂町に引っ越したときから不埒な野望を持っている。

この楯六郎を主人公にして歴史小説を書いてみたい!

 

あら、はずかし・・・。

いや、小説なんか、もちろん書いたことないよ。

でも、見つけちゃったんだよねぇ・・・。

すでに佐久穂町で源義仲について、小説をお書きになった方がいた!

とほほ。

 

大河ドラマとかにならないかなぁ、「義仲」。

えぇ、妄想ですとも。

さらに、ちょっと先には月見石。

これは、裏面の字がよく読めなかったが、「楯六郎親忠」という字は見えた。

ふふふ。

これ、あとで気がついたんだけど、この石碑は月見石ではない。

おそらく・・・その下にある石。

三男が踏みつけている石・・・。

月見をした石・・・。

撮影失敗!

 

所要時間15分ぐらいの史跡めぐり。

でも、佐久穂町をめぐってもっともっと知っていきたいし、

それを面白く人に伝えられたらいいなぁって思う。

 

6月定例議会まであと13日

コメント

タイトルとURLをコピーしました