一昨日、確定申告の話をした。
その中で、
政治の世界と同じで
使われている用語が難しいということを言った。
前もどこかで書いたと思うが、
私は文字を読むのが実に苦手である。
だから、できるなら情報は
耳からいれるようにしている。
その方がストレスがかかりにくいということだが・・・。
だから頻繁にポッドキャストやアマゾンオーディブルを聞きながら、
洗濯や洗い物、掃除、農作業をする。
その中のバイリンガルニュースのお話。
ランカスター大学のアタナソポリス教授らは、
スウェーデン語とスペイン語のバイリンガルの人たちに
「どれぐらいの時間が経過したか?」という質問をした。
実はスウェーデン語は、私たちの日本語や英語と同じように、
「時間が短い」のように時間を長さで表現する。
それに対しスペイン語は、
「時間が小さい」のように時間を量として表現する。
実験をされたバイリンガルは、
の両方を見せられて、上記の質問をされる。
面白いのはその結果で、同じ人であっても、
スウェーデン語で質問されたときは、①の図を見ながら回答し、
逆にスペイン語で質問されたときは、②の図を見ながら回答したという。
つまり、
言語が大きく感覚や思考方法に影響を与えている、
ということを再認識させる結果となった。
最初の青色申告や政治の話に戻る。
国会で「忖度(そんたく)」という言葉が使われた。
おそらく政治に興味がなければ一生使わない言葉だ。
使わなければ、おそらくその意味など知らないのが、ごくごく普通。
でも、なぜか日本人は他の人が知らない言葉を知っているというだけで、
すごい!特別!優秀!と思われる傾向にある。
報道関係もいかにも「こんな言葉しってますか?」みたいに自慢げな報道をする。
・・・ただ、「普通ではない」というだけなのに・・・。
政治に関わる人が一般人が日常で使わない言葉を使う理由とは?
もしそれが、政治家らしくあるために使われているとしたら、
それは由々しき事態であると私は思う。
ましてや、それを知っているから特別な存在だのようなに
気がつかないうちに政治家が自分を定義づけていたとしたら目も当てられない。
使っている言葉によって人格が形成されるという悪い影響を、
地でいく悪例だと言わねばならぬ。
難しい言葉を使ったから偉いのではない。
むしろ、難しい言葉を使わなければならない非力を自戒しなければならぬ。
言葉や言語によって人格が形成されるという一面は避けがたい事実であろう。
が、その危険性を認識しながら言葉を使うことと、
無意識のうちに言葉に支配されてしまうこと。
わたしなら、当然、前者を選択したい。
コメント