11月30日に月に1度程度で実施している、
お出かけ議会と呼ばれる町民交流会に参加。
今回は、佐久穂町にある
農作物の直売所であるまちの駅の、
会長経験者など、有志の方との交流会だった。
農業の現状は私には正直良くわからない。
だから、聞いているだけで学びは多い。
意見は詳細部分のズレはあれども、
まちの駅には役割を再認識して積極的にがんばってほしい
というものだったように思う。
ここからは私個人の妄想多めな意見だから、
すこしきついことも含まれるかもしれない。
チラシの裏へ書きなぐったものだと思ってもらえば助かる。
1つ目は、今後の未来予測。
正直、道の駅八千穂高原は観光シーズン以外は、
コンビニのある大きな駐車場となってしまう気がする。
まぁ、観光シーズンもそうなってしまわないことを願うのみだ。
もし、道の駅八千穂高原が人であふれかえるとすれば、
それは観光客がたくさん訪れる状態にほかならない。
地元の人がたくさん来る未来というのは・・・
正直、どんな想像をしてもたどり着けない自分がいる。
となれば、物が売れるのは、
土曜日・日曜日・長期休み・観光シーズンに偏る。
売れる産品はお土産に適しているもの。
持ち運びしやすく、保存がたやすく、ニオイがしない・・・
結局のところ、箱に入っている定番のお土産が売れる。
つまり、道の駅の農産物直売については、
仕掛けをしない限り、それほど大きくはなれない・・・気がする。
そうなると、今、農産物直売所であるまちの駅。
それはそのままの存在意義を保持したまま存続できるに違いない。
よく言われる農産物の供給量の不足・・・
それは実際にない・・・というより、
需要の不足のほうが大きな問題であることは確かだ。
需要が十分であれば、供給量が不足する。
供給量が不足すれば、価値があがる・・・
それからの話だ。
さて、その存続できるまちの駅。
ここからはまちの駅そのものが存在価値を上げられるかどうか。
今のままでいい・・・というのは、
価値を想像し続けることで成長を続ける資本主義では、
衰退を意味する。
脅威の有無と自己価値を向上させることは、
まるで別のことだ。
しかし、とかく人は自己価値を云々するにあたり、
それを上げるために他者を下げ、
それが上がらないのを他者のせいにする・・・。
私が考えるまちの駅の存在価値の向上は、
地産地消である。
それはみんな同じに違いない。
問題は、その価値を上げるための手段である。
まずは、地産地消は良いことだから、やって当たり前・・・
という意識を捨て去ることから始めなければならない。
こういうときの心情は、おうおうにして、
やって当たり前・・・と言いながら、
やってもらって当たり前だ・・・
という風にすり替わってしまっている。
自分がやるのは当たり前であって、
他人がやらなければならない法はない。
まずは自分から地産地消を促す手立てを考え実行することだ。
その違いに気がつけないのなら、
私が考えている地産地消と、みんなの思う地産地消は、
異なるものだといえる。
さて、思いが強く出過ぎたし、
無責任極まりない、外野のヤジであった。
当の中で悪戦苦闘している方々には申し訳ない。
チラシの裏の落書き、盲者の戯言だと思ってほしい。
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