委員会合同視察研修の続き2日目後半。
仙台市にある荒浜小学校震災遺構を視察。
そしてその後編の記事。
色々と個人的に説明してくれた人に話を聞けたので、
備忘録がてら・・・箇条書きに・・・。
まず、施設見学をしている中で、
15分程度の動画を見せてもらったが、
その動画は他のところでの使用ができるかどうかを聞いた。
結論から言うと、現在のところは公開していないとのこと。
なんでそんな事を聞いたのかというと、
9月の避難訓練に使えればいいのに・・・と思ったから。
実際にこういった被災の様子をまじまじと見ることは、
防災意識を上げるために効果的だと思ったからだ。
他にも、荒浜地区の住民はその後どうなったのか?ということ。
まず、荒浜地区の津波で流された住居のあった土地は、
仙台市が震災前の金額で住民から買い上げたとのこと。
各住民はそれぞれ散り散りになって生活をしているらしい。
ガイドさんの知人などは、
ローンを組んで家を新築して2年たったころに流されてしまった。
そうなると新たな住居を取得するためには、
二重でローンを組むことになるのだが、
その点については、限度額はあるものの、
新たな住居を建てるためのローンを組んだ場合は、
その利子分を一括して仙台市が補填してくれたらしい。
ただ、荒浜地区という集落がなくなってしまったことで、
文化的な伝統行事などは一瞬で四散してしまったので、
その点はくちおしいと言っていた。
じゃぁ、荒浜地区の土地はどうなったかというと、
一部、公園や観光農園、そして避難するための高台になっている。
仙台市としては、そこに企業を誘致したいと考えている。
JRが運営している観光農園もそのひとつとのこと。
ただし、原則として津波でさらわれる危険性がある地域なわけで、
それを承知した上で、その地に入ってこなければならない・・・。
上の写真は、仙台市が行ったその後の津波対策を説明する模型。
仙台市は荒浜地区前の堤防を6mとして、
荒浜地区の後にさらに堤防を。
そしてその後に更に堤防を置き、3段階で津波を抑える方式をとっている。
興味深いのは、こういった津波対策は、
各市町村ごとに任されているようで、
1つの大きい堤防をつくるところもあれば、
いっそのこと土地ごとかさ上げして対応しているところもあるらしい。
どれが、正しいのかは正直わからない。
当時、被災した人が再び戻ってきて、
ガイドのような仕事をしたいという人がいるのは想像に難くない。
が、しかしガイドというのは、
仙台市の会計年度任用職員であって、
それだけで生計は立てられない。
仕方がないことかもしれないが、
災害を紡いでいき防災意識を育てるということにも、
多くの金がかかることで、
その思いは、
お金の現象と時間の経過と人の関わりの薄弱とともに、
衰退していくのは致し方ないことなのかもしれない。
ぱっと思い出せるものを書いてみた。
あれは、直接見たほうがいい。
本気でそう思う視察先だった。
町民との意見交換会実行委員会まであと4日
コメント
仙台いらっしゃったんですね!何だか嬉しいです
僕も自転車で荒浜庄周辺を回ったことがあって、小学校の外観だったり、建物が流された土台だったり、海水浴場の後だったり、不自然に綺麗な高台を見ました。前までたしかにあった普通の生活が一瞬で流されてしまったんだなぁ、ということと、首都直下地震が近いと言われてる中で全く人ごとではないということを感じました。
僕は今年でもう大学4年になります。大学でほんとにいろいろな経験をして、来年からは東京で就職します!今でもあのタイミングで西部先生に出会えてよかったと思ってます!
気がつけばもう4年生ですか・・・早いですけど、ご卒業・ご就職おめでとうございます。お褒めの言葉もありがとうございます。
新しい場所では様々な人がいて、思わぬことは、自分がイメージできないだけで、頻繁に起こるものです。災害もその大きなひとつですが、人生にはもう少し小さい「思わぬこと」が次から次へと訪れると思います。ですが、それは自分がイメージできていないだけで、その経験によってイメージの種が得られれば、今後の糧になり得るでしょう。
つい、説教臭くなってしまいました。いけませんねぇ・・・。
新しいステージでの充実した日々が送れることを心よりお祈りしています。