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お疲れ様会と昭和の話と記録の意味?

広報編集調査特別委員会は、

今まさに議会だよりの作成をしている真っ最中。

とはいえ、

このメンバーでの活動もこれで2年になり、

一旦終了となる。

 

さらに言えば、

広報編集調査特別委員会というのもこれで一旦幕を閉じて、

次の回には広報特別委員会という名称に変わり、

名称だけでなく、広報関係全体を担当する特別委員会として、

強化再編されることになる。

そういう意味では大きな節目でもある。

 

そんなわけで、委員から要望があって、

お疲れ様会をすることに。

場所は、佐久穂町の東町商店街にある吉乃寿しさん。

 

これがまた驚きの縁で、

たまたまその日見ていた

佐久穂集落聞きめぐり

という佐久穂町発の刊行物に出ていた

吉乃寿司さんの女将さんである方から、

昔の佐久穂町についてお話を聞く機会にめぐまれた。

 

佐久穂集落聞きめぐり

についてはその内容は明日の記事で載せることにして・・・

 

とにかく、楽しい時間を過ごすことができた。

私は佐久穂町に住んでたかだか15年程度だからよくわからんが、

いや、

こういうところって、

本当に知り合いというか、繋がりというか・・・

ほとんどそれでできているって感じがする。

バ○ァリンの半分が優しさでできている・・・

どころの話ではない。

 

まぁ昭和時代は、

移動距離も長くなく、

それこそ生活圏が狭い時代。

当然ながら結婚というものも、

自然発生的大恋愛なるものは非常に機会が少なく、

それこそ誰かの仲介で結婚話を進めるというのが普通だったのだろう。

今考えると、仲人という制度は、

その時代にマッチしていたシステムだったと思える。

 

だから当たり前のように

血縁関係者やその延長、また友人関係や同期などをたどると、

ほとんどが知り合いになってしまう。

15年ほどしか在住していない私でも、

最近、ちらほらそんな知り合いもできるようになったから、

それこそ80年や90年なら、

そうなるのもうなずける。

 

女将さんから聞いた話は、

昭和時代の東町商店街の様子だ。

どちらかというと、アッチの話が多かったけど・・・。

だから余計に盛り上がったのかもしれない。

 

こういう話は貴重だが、

女将さんが嘆いていたのは、

そういった話を記録に残す、

方法もエネルギーも少ないということだ。

誰かまとめてくれないかなぁ・・・とも言っていた。

 

ふと思う。

今の令和時代だって、

私が生きてきた昭和時代末期から平成時代だって、

それは30年後ぐらいには同じように思うのだろうな・・・。

そう思うと、雑談ばかりのブログだが、

こうやってほぼ毎日記録しているのは、

いつか意味が生み出されるのかもしれない!

と、ほんの・・・そうほんの少しだけ、

勇気づけられた。

 

本日、広報編集調査特別委員会活動

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