3月定例会が採決閉会となった。
令和5年度の一般会計予算案に関しては、
1人の議員から反対討論がなされ、
議長を抜いた13人のうち、
3人が反対に回った。
一般会計予算案というのは、
どうしても総論賛成、各論反対という状況になりやすい。
そのため、普通は全員賛成ということになるが、
今回についてはそうはならなかった。
反対討論をされた議員の争点は2つ。
ひとつは来年度から佐久穂町が、
対コロナ経済施策として実施してきた、
給食無償化をやめることについて。
もうひとつは、
順次肥大化する道の駅事業の建設費である。
さて、給食費無償化については、
テレビでもニュースとして最近流れている。
東京都でも区ごとに無償化としているところ、
していないところが分かれている。
それをことさら最近、クローズアップして報道しているのは、
いったいなぜなのだろう?と思わなくもない。
いろいろな状況や意見があるのは
承知した上で、私は、
給食費の無償化には教育上の効果が少ない
と考えている。
だから、食事ができていない子どもたちや、
諸事情により生活が苦しい家庭には、
しっかりとした支援が必要であることは言うまでもない。
それでも、教育という観点からは、
もっとはっきりと、そう包み隠さずはっきりと、
食事というのは経済行為の一部であるという自覚ができるような
そんな食育にしていかなければならない。
どうしても健康的であることに日本の食育は偏りがちだ。
食事は楽しい時間であるし、
人と人とのコミュにケーションの場として有効である。
さらに先に述べたように経済活動の一部として考えれば、
そこにはさまざまな人の経済活動の中で、
食事が取れているという、
無尽蔵に欲望をぶつけていい対象ではないことが理解できるはずだ。
そういったことをオブラートに包んで、
農家の皆さんに感謝する・・・
といった、実感を伴わない刷り込みは、
悪いとはいわないが、あまりにも心に響かない!
だから300円ちょっとでお腹いっぱい食べられる給食について、
苦情を言う人があとを絶たないのではないか?
さて、私は私の思いとして置いておいて・・・
実際のざっくりとした給食費の論点を、
給食費無償化の問題点として、
とりあえず私なりに書いてみる。
まずは、公平性が保たれない側面があること。
これについては私立小学校・中学校がある限り避けようがない。
好きで私立にかよってるんでしょ?
といった意見はさすがに暴論だ。
また、法律上でいえば学校給食法に規定されているから。
という理由が1番かもしれない。
実質的にはその財源の問題。
お金が入ってくるツテもないのにお金を使えない・・・
というあまりにも現実的な問題点。
さて、何に税金を使おうか?と施策を練れる状況の、
裕福な地方自治体であればいいが、
そんな自治体はそれほど多くはない。
と、いったところか?
もう少し言うと、
東京都の各区で施策が分かれている状況だと、
仮に給食費無償化が住む場所を決めるひとつの要因になっているとしたら、
それによって東京都内で住む場所を選ぶかもしれない。
つまるところ、東京都内で人口というパイの奪い合いをできる状況だから
その施策に価値があるとも言える。
もちろん、給食費無償化賛成という意見も十分に理解できる。
何より生活が苦しい家庭には、
ありがたいことこの上ない。
世の中、救われるべき人はたくさんいる。
問題は、救われるべき人なのか?ということである。
救われているという実感がある人は、
おそらく給食の細部の味や貧しさ、好き嫌いについては、
あまり言及しないのではないか?
私は自分自身で気をつけていることが2つある。
ひとつは、
自分のできないことには敬意を表すること。
もうひとつは、
今ある特権が刹那的であると自覚すること。
つまり、今のお枯れた状況が当たり前と思い込み、
それがなくなるときに、
その特権がさも自分の生まれながらの特権であるかのような、
そういった醜い思い込みをしないこと。
だから、300円であの食事を用意できることには
敬意を表すし、自分ができないことだから感謝しかない。
むしろその敬意を示すために、
私などは経済活動としてお金を払うべきだと考える。
また、令和4年度は対コロナ経済施策によって
給食費無償化であったが、
それは自分が持っている普遍的な特権では、
当然ながらあるわけもなく、
冷静になって考えてみると、
それがなくなったからとって大きな支障がない。
だからそれにしがみつくのは、
私としては好まない・・・というだけだ。
まぁ給食費については国にも地方自治体にも、
学校にも子どもたちにも、その保護者にも、
それぞれが抱える問題というものがある。
それがすり合わされるのであれば、
給食費を払うのか無償化にするかは、
あんがい大きなテーマではないのかもしれない。
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