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明日は投票日!

人ってとても欲深く弱いものですね。

変な表現になりますが、

自分が嬉しくなるようなできごとがあると

心のエネルギーが1ポイントたまるとして、

自分がつらい思いになるできごとがあると、

そのポイントは1回で10ポイントぐらい、ゴッソリ持って行かれてしまうのですね。

だから、人は

声を掛け合って、寄り添って生きていくものなのだと、

改めて実感しました。

 

いよいよ明日が、

佐久穂町の、

今後4年間と言わず、10年・15年先を占う投票日となると思います。

誰に思いを伝えるかはともかくとして、

みなさんがとにかく投票に出かけて、

思いを伝える行為をすることが大切です。

10年後・15年後の先に、

「どうしてあのとき、○○してくれなかったの?」

と、今の選挙権を持たない子どもたちに言われたとき、

「おれはよく知らないよ。政治家が勝手にやったことだからな!」

といった逃げにならない様に、

私は、投票という形で1票分だけですが、責任を負おうと思っています。

民主主義に慣れてしまった私たちは、

いつの間にか、

民主主義とは権限の委任だ

とすり込まれてしまったのではないかと思うのです。

あくまでも私個人の意見ですが、

民主主義は最終的に政治の責任が選挙権を持つ民に返ってくる、

その最終的責任にこそ真価があると思っています。

 

昨今、国政を見ていても、政治家をたたくことが政治になって、久しくなっています。

この影響もあって、

「政治の腐敗」という言葉で表現されるほとんどは、

実は「政治家の腐敗」であることを、我々はそろそろ気がつく必要があります。

 

では、何が「政治の腐敗」なのか?

民主主義に限って言えば、私は、

民が権限を委任することで、責任を回避できたと思う構造そのもの

だと思うのです。

 

これは、国政に関して言えば、

実際の距離的にも、心の距離的にも、あまりにも遠いことなので

仕方がない一面はあるかもしれません。

 

でも、市町村レベルでは、そこは我々、

民が踏ん張るべきだと考えます。

だから、まず投票することで、

民としての権利を行使し、

「政治の腐敗」を防ぐ流れをつくならなければならないと思います。

 

もちろん私の個人的な感覚の産物でありますから、

ご意見・反論もたくさんあると思います。

でも、それを言える状態なのが、

そして、その思いを自分の責任において代表者に伝えられるのが

民主主義なのではないですか?

 

ようするに、所詮、

そのための小さな一滴を、私は投下しているに過ぎないのです。

多様な価値観があって当たり前なのです。

むしろ、その多様な価値観こそが民主主義の本質だと思いませんか?

 

全員が一丸となることは、もちろんすばらしいことです。

でも、その前に他の価値観を認めることが大事なのではないですか。

こどもに対してもおなじです。

みんなで仲良くお友だちになることはすばらしいことです。

でも、お友だちにならなくても、相手を認めることが大事なのです。

 

思うまま綴ってきたために、

とりとめのない文章になってしまいました。

申し訳ありません。

 

とにかく、佐久穂町の10年・15年先を見据える選挙です。

ぜひ、

『目指せ!投票率90%越え!』

実現させましょう。

明日を、小さな・小さな・・・そして偉大な民主主義への第1歩としましょう。

佐久穂町からその1歩を踏み出しましょう。

 

自分の投票に行き、自分の投票をし、自分の投票で町を作りましょう

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