佐久穂学習倶楽部で、
中学3年生にあたる9年生が宿題について話していた。
なんでも、夏休み中に、
戦争に関係する新聞を作成しなければならないらしい。
いわゆる夏休みの宿題というやつだ。
個人的な意見をいえば、
夏休みの宿題なんてなくてもいいのに・・・
って思う。
というか、普段からできないことを、
夏休みにこれみよがしに課題として提出するのは、
正直、センスが無いなぁ・・・教育業界。
と、思う。
普段からできないことだからこそ、
学校での学習の指導が必要だろうに・・・って思う。
さて、そんな戦争に関する新聞づくり。
私は佐久穂学習倶楽部の部員の希望者に、
調べたいことがあるから一緒にやらないか?とさそった。
もともと長男がそれをやればいいんだが、
それでもあまりにも膨大過ぎて、
数人で分化して作成し、
それをごっそりまとめたらそれなりの知識になるかも!
と思った次第。
だから、
佐久穂町図書館の司書の方にお願いをして、
サポートしてもらうことにした。
何をまとめるかって?
そう。
大日向満蒙開拓!
とはいっても、実は大日向満蒙開拓自体の資料は、
ほとんどなくて、
それだけでは新聞の紙面は埋まらない。
だが、満蒙開拓自体については、
日本の歴史である
満州事変からソ連参戦にまで大きく関わるできごとだ。
この満蒙開拓の歴史を通して、
当時の日本の戦争の一側面・・・
特にあまり歴史に表立たない中国北部の満州や、
ソビエト連邦の参戦による悲惨な状況について。
いわゆる関東軍がどのように日本の政治に関わってきたか?
ということを学ぶよい機会になってくれると思う。
一言で満蒙開拓と言っても、
あまりにいろいろな側面がある。
そもそもなんで満蒙開拓なんていう国策が動きだしたのか?
関東軍はなんのために満蒙開拓を勧めたのか?
満蒙開拓といわれるが、本当に満蒙を開拓しにいったのか?
満州にあるもともとの農地を自分のものにしたのではないか?
なぜ、長野県は満蒙開拓移民数が最多なのか?
どういう経過で満州から引き上げてきたのか?
引き上げ後、戻ってきた人々はどこへ行ったのか?
あまりにもわからないことが多すぎる!
大日向満蒙開拓の伝承維持については、
私個人の意見を言えば、
ソフト事業として実施していかなければならないと思っている。
もちろん石碑を立てるとか看板を立てるとか、
そういうハード事業を否定するものではない。
ただ、ハードというのは、
ものがそのまま残るだけに、後継者を探す心意気に欠ける。
ソフト事業ならば、その人がやめてしまえば、
その伝承が途絶えてしまうという強迫観念がある。
だから、そこを刺激したいと考える。
沖縄県では戦争の悲惨さを伝える授業が、
いろいろな形をかえ、語り部をかえ、
今でも続いている。
それは上陸戦が行われたから・・・
だから沖縄県が決して特別なわけではない。
どこの場所であったってそれはなされるべきことだ。
むしろ、佐久穂小中学校の場合、
大日向満蒙開拓を通して、
戦争の悲惨さを受け止めるだけの授業は可能なはずだ。
ちなみに、あまり知られていないが、
満蒙開拓からの引き上げに関する死傷者は、
沖縄上陸戦や広島原爆投下、東京大空襲よりも、
多いという話も聞く。
このあたりはもっと詳しく調べなければならないが、
そういった惨状を、
未来の子どもたちのために伝えるこをと、
しないというのは、
教育上、もったいない限りだと思う。
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