私は大学時代、
教育学部社会科の倫理学研究室に所属していた。
とは言っても、真面目な生徒ではなかったので、
教授陣にはごめんなさいとしか言えない。
どちらかといえば引きこもり系で勉強しない系の迷惑者だった。
そんな学生ではあったものの、
そちらの方面に進むということは、
そこにはやはり興味があったということは確かなようで、
就職してからも、今でも、
観察の対象として、人の心や行動には興味がある。
高校の公民科の倫理では、
ルイスフロイトの防衛機制などを学ぶが、
それこそSNSが誰にでも利用でき、
直接、自分の責任において言動に移すことができない人でも、
人を攻撃するような選択を取ることができる今の世の中では、
そういう理解・・・
つまり心で分かっていなくても、
頭でわかっている必要があるやに思う。
ちなみに高校生はその学習を、
保健体育の中で行うと長男に話は聞いたが、
どれぐらいの重さでそれを学習しているかは、
少し気になるところだ。
さて、そんなおり、
Youtubeの登録チャンネルの中で動画を見つけたので載せておく。
男性が女性がとかではなく、
防衛反応がどのような理由で働くのかを、
少しだけリアルに話してくれている。
学習内容では、満たされない欲求の対処法として扱われるが、
その欲求が根本的に重要で、
その欲求というのも時代とともに移り変わっていると思われる。
いや、
そもそも日本人が信じている三大欲求なるものは、
海外では全く認識されていないという話も聞くので、
欲求というもの、そのものを、
学習し直さねばならないと感じる。
特に、今流行りの承認欲求・・・。
これは承認されたいという欲求であると同時に、
承認されない、認められないということに対しての、
負の行動としての防衛機制が、
ようように働きやすいと認識せねばならない。
なぜならば、承認というものが、
具体的な達成度を共有できないばかりか、
いわゆる欲求が満たされた状態の水準が人によって大きく異なる上に、
達成されたという実感が脳内の思考にのみ委ねられるからだ。
お腹が空いたから肉を食べたい・・・
という欲求が生まれた時、
肉を食べることが達成できなくても、
満腹になることはできたりする。
そうすれば、自分の中の感覚のことなので、
折り合いもつけやすい。
しかし、みんなから認められたいという欲求は、
その対価である金銭や名誉、
また他人からの信頼などによって判断される。
しかも判断するのは他人であるのにも関わらず、
こと欲求ということに関して言えば自己判断が最優先されがちだ。
こうなっては、自分が大満足しない限りは不満・・・
ということになりかねない。
したがって欲求が満たされるたと納得しづらいことになる。
困ったものだ。
長々と書いてしまったが、
昔の人達はよく言ったものだと思う。
足るを知る
身の丈に合わせる
こういった言葉は、
人が、社会的な大きなズレを生じさせないようにするための、
とても重要な言葉なのではないかと思う。
それこそ、今の時代には特に・・・。
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