何かのスポーツの習得を考えた時、
いわゆるフィジカル・・・身体能力と、
テクニカルつまり特定の技術がある。
どちらが重要かということが問題なのではなく、
1つの形をつくるために、
相互補完をしていくものであると思う。
これは、仕事であっても同様であろう。
あらゆる仕事が、体力と理解力、そして人脈をベースとして、
それぞれの仕事における専門的知識や技術が、
その仕事のクオリティを上げることになる。
が、それが近年、変化しているように感じる。
スポーツのフィジカルに当たる部分。
仕事のベースとなる部分の人脈が、
昔で言うところの、局地的接待重視の様子から、
主にSNSを利用した
価値観の交流という形に変化してきた気がする。
以前と比べて、
権力者に気に入られることが仕事を得ること・・・
という傾向が減少してるのか、
はたまた、栄枯盛衰が激しい世の中になっているため、
特定の人物に依存するかのような人脈が、
それほど大きな価値を持たなくなってしまったのか・・・。
逆に、最近よくみられる人脈形成の手法は、
主にSNSなどのインターネット環境を利用した、
多種多様な価値観を持つ人との交流や、
同じ価値観を持つ人のネットワーク形成などの、
広がりをもつ人脈形成が台頭してきているようだ。
もちろんこれは、
飲食接待、ゴルフ接待などがコロナ禍によって封殺された影響も否めない。
そう考えた時、
実は仕事におけるベース部分が、
かなりの度合いでインターネットの利用のような、
ICT活用スキルに支配されてきていることが感じ取れる。
体力も人脈も、
情報機器のスキのない使用が基礎力になってきている。
また、スポーツで言うところのテクニカル、
つまり仕事の専門性についても変化が見られるように思う。
以前に比べ、その専門性は、
より専門化し狭く深いところへとどんどん向かっている。
もちろんそこには広さにおいて欠点はあるものの、
それはインターネットの環境によって、
また、人脈の広さと多様性によって担保されている現実がある。
むしろ、そういった状況だからこそ、
専門性を持たないということは、
際立ったデメリットとしてクローズアップされがちなのかもしれない。
さて、地方議会議員という仕事に、
このような変化のあり方をあてはめて考えてみる。
まず、地方議会議員の仕事のベースになる部分は、
もちろん体力と知識そして人脈なわけだが、
その人脈が大きく変化している。
以前は、地方議員にお願いをすると現実化するという側面があった。
だから、地方議員は住民にとって少なからず
特定の利益をもたらす権力者という側面を持つ存在であった。
だから、地方議員も、いわゆる局地的接待の対象となって、
先生、先生とよばれてチヤホヤされた。
だから、人脈が勝手にできたし、
逆に、地方議員は、思いを形にするために、
さらなる権力者に対しての局地的接待を行うことになる。
が、時代は変化してしまった。
特に町村議会議員については、制度改正によってその仕事を失い、
地元や特定の企業への利益をもたらす存在ではなくなってしまった。
したがって、
局地的接待の対象ではなくなってしまったわけだ。
そして、地方議員にとってのベースの1つである人脈は、
以前と形を変えざるを得なくなってしまったわけだ。
では、どこに地方議員の価値を見出すか?
ということに思いが至る。
人脈は死んでしまったか?
といわれると、全くそんなことはない。
なぜならば、地方議員の価値観のひとつである
接続の仕事
をするためには人脈は欠かせないベースとなるからだ。
この場合の人脈は、もちろん局地的接待などの関係をもつ深い人脈ではない。
SNSを利用した広がりをもつ、
それこそ、知り合い程度の人脈である。
そこに必要なのは深さよりも広さ・・・ということになる。
そして同時に、
スポーツで言うところのテクニカルな部分、
つまり専門性を深めていくことに価値があるように感じる。
それこそ、私としては、
佐久穂町の教育に関する事案については、
相談してみようと思ってもらえる存在になることが目標。
いまだ力及ばずだが・・・。
これが、私にとって、
地方議員のありようとして、具現化したい形だ。
これからの地方議員は、
ICTの活用スキルを持ちながら、
広い人脈を持ちつつ、つなぐことで人の不安を減らし、
特定の専門分野で頼りになる存在でなくてはならない・・・
と、自分には言い聞かせている。
本日、広報編集調査特別委員会
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