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飲酒とデジタルと政治?

2月1日に佐久水道企業団の議会運営委員会に出席。

佐久水道企業団は年に2回の定例会が開催される。

今回は、2月8日に開催される定例会のためのもの。

内容は次年度予算案と議会規則の改正であった。

 

そんな中で、ここ最近、

毎度まいど話題に上がるのが、議会終了後の意見交換会・・・

いわゆる飲み会についてである。

今回も当然ながら中止ということになった。

・・・当然ながら・・・と思っているのは私だけかもしれないが。

この、ここ最近の毎度まいどの意見交換会の確認。

もはや私としてみればちょっと遠い距離から見ている。

 

政治を歴史の中で見ていくと、

たしかにそこには飲酒飲食は必須事項だったように思う。

イメージの問題でしかないが、政治的下ごしらえや根回し、密約などは、

基本的にはお酒の席でかわされてきたという感じがある。

そもそも政治がまつりごとと呼ばれ、

政治とまつりとが同じであると誰もが疑わない時代は、

まつりと酒は、文化的に切っても切り離せないため、

自動的に政治と酒は切り離せない関係になっていたのではないかと思う。

 

確かに現代の政治の世界でも、それは必要なのかもしれないが、

そもそも今の近代民主主義にはそぐわない気がするのは私だけだろうか?

これもイメージの問題でしかないが、

とても大事なことをその席で決定されるということ自体、

私たち庶民としては、あまり心地良い気がしない。

 

意見の交換は必要だと主張する人も当然いる。

それは間違いなく正しい。

だが、意見交換会自体がいわゆる酒の席でなければならない・・・

という、論理には結びつかない。

むしろ、シラフの状態で意見交換をすることのほうが正式であるはずだ。

このコロナ禍で多くの飲み会が中止となっている。

そして、そのために政治が著しく滞ったという事態は、

私の知る範囲では発生していない。

むしろ密を避けながら少人数での意見交換や学習会が、

私個人としては、前よりもできている気がする。

 

飲食店への協力が必要だからという主張も当然ある。

それも地域をなんとかしたいと思っている私にとっても、

至極当然の主張であるし、

まったく異論のあるところではない。

だが、それは政治が酒の席を必要とするか?という議論とは、

まったく別の議論であるはずだ。

また酒の席そのものにそれを限定するのも不思議な話で、

なぜならそれは、

困っている企業や生活が苦しい人々に対する支援というものの一部であって、

政治的な配慮は別段特定の業種に偏るものではないはずだからだ。

 

そもそも飲酒というものは

あくまでも趣味趣向の範疇であると、

私は理解している。

おいしいスイーツを食べに行こう

みんなでカバディをやろう

ということと、私の中では何ら違いがない。

決して酒を飲みに行ったりすることを否定するつもりはない。

それが政治の一部であるという考え方について問題提起をするだけだ。

 

私個人としては飲酒はもはや政治の一部であるという時代は、

終わりを告げようとしていると思っている。

一方で、政治家には別のものが重くのしかかってきている。

それがデジタルというものだ。

 

googleニュースでちょっと前に、

イギリスだったかどこだったかの高齢な地方議員が、

Web会議に出席しなかっただかできなかっただかで、

長期にわたり議会に出席しなかったということで、

辞職か解職ということになったというニュースをみた。

あやふやな記憶にもとづく情報は・・・と思って、

今になってそのソースに当たろうと思って調べたが発見に至らず。

不正確な情報で申し訳ない。

誰かそのニュースを知っている人は教えていただきたい!

 

でだ。

こうなるといよいよデジタル機器の使用が、

地方議員の必須条件になる時代の足音が聞こえるようで気が気でない。

これもまた、飲酒の事例と同様に、

多様な価値観の共存が民主主義の真髄であるとするならば、

民主主義に・・・とくにその代表である議会にとって、

好ましくない傾向なのではないかと思う。

 

佐久水道企業団議会開会まであと7日

 

 

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